第4回湯治中知った沢村賞 エンゼルスから大野豊氏に「年俸100万ドル」

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聞き手・木元健二
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A-stories 38歳でエンゼルスに誘われた男

30年前、38歳で大リーグ・エンゼルスから誘われた左腕がいました。カープ一筋で43歳まで投げ続け、殿堂入りを果たした大野豊さん。決して野球エリートではなかった自らの人生を語ります。

 歓喜の気持ちは、暗転しました。1980年に近鉄を破り、2年連続日本一になってまもなく、師匠と仰いだ江夏豊さんの日本ハムへの移籍を知らされます。僕はまだまだ学びたかった。

 ご一緒した3年間は濃密でしたが、思えばご指導は簡素なことが軸だったように思います。ボールと友人になるように――。ランニングの時もボールを手放さなかった江夏さんの横顔から、そう学びました。

 ボールという単なる球体を「生き物」に変えられるのがプロの投手です。技術で操るだけでなく、気持ちをボールに込められなければ、思うようなコントロールなどできはしません。

 大観衆の見つめる前で「これぞ投手」という仕事をする江夏さんは、まさにお手本です。駆け出しの僕にとって、その後の支えになるものをいただきました。

 ですが、江夏さんの移籍で、カープに「抑えの切り札」がいない状況が生まれました。古葉竹識監督は81年、5年目を迎える僕に抑え役を命じます。

 古葉さんも新人の頃から目をかけてくれ、制球難で失敗を繰り返しても使い続けてくれました。

 広島を3度の日本一に導いた名監督で、座右の銘は「耐えて勝つ」です。

 高校生の時に父を亡くされ、せっかく進んだ大学も中退を余儀なくされるなど苦労を重ね、花開いた方です。

「僕は僕だ。江夏さんにはなれない」

 江夏さんを師匠としたら古葉…

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