水俣病と福島原発事故 「汚染者負担の原則」めぐる共通課題とは
記者解説 編集委員・大鹿靖明、千葉総局(元水俣支局長)田中久稔
水俣病は「公害の原点」とされる。加害企業のチッソの責任を認めた最初の訴訟の判決から3月で50年となった。
一連の裁判では国の責任が認められ、患者への補償制度もできた。だが、いまも症状に苦しみ患者としての認定を求める被害者たちがいる。国が主体的に対応すべきだとの声もあるが、現状ではできていない。加害企業と賠償をめぐる課題は水俣病だけでなく、東京電力の福島第一原発事故でも共通している。
2011年3月11日の東日本大震災で原発事故が起きると、財務省は政府がかかわった過去の賠償事例を調べあげた。その一つに水俣病の賠償があった。霞が関の中央省庁は政策立案の際に過去の取り組みを参照する。このときもそうだった。
「問題を起こした企業は逃げようとするがそれを許さない。企業の収益を賠償に充て、社会的責任を引き受けてもらう」。当時の担当幹部はこう振り返り、「そういう点でチッソと東電は似た面がありますね」と語った。環境汚染の対策費や賠償は原因企業が負担するという「汚染者負担の原則」という考え方に基づいている。
水俣病はチッソの工場廃水による有機水銀中毒で、四肢の感覚障害や視野狭窄(きょうさく)などの症状が表れる。原因企業のチッソは1973年3月に熊本地裁で敗訴した。患者側と補償協定を結び、慰謝料などを支払うことになった。その後、患者の増加などに伴って補償費はふくらみ、チッソは経営が行き詰まるなか自力では対応できなくなった。
チッソに補償を続けさせるために78年から始まったのが国や熊本県による資金支援だ。主に国を引受先とする県債を発行し、得た資金をチッソにまわすスキームである。やり方は徐々に修正されたが、これまでに累計で約3700億円が貸し付けられた。
同じような政府が民間企業に賠償のための資金をまわす仕組みは、原発事故でも採用されることになった。財務省の当時の幹部は、チッソ救済スキームについて「間接かつ長期にわたって財政資金を流す点に関心を持った」という。
■発動された「政府の援助」…