ハラスメント研修サボった私 研究現場に潜む自覚なき被害と加害

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富永京子のモジモジ系時評

社会学者で立命館大准教授の富永京子さんが、ポップカルチャーや身の回りの出来事から社会と人間についてつづるコラムです。

 恥ずかしい過去は多いほうだが、毎年この時期になると思い出して頭をかきむしりたくなる出来事がある。8年前、勤め先の新人向けハラスメント研修を、私はサボった。なぜなら当時の私は、自分が「する側」になるなんてありえないと思っていたからだ。それに万が一「される」側になったとしても、社会運動の研究者だから、適切な告発や対処ができると思いこんでいた。

 ハラスメントというと、暴言を吐く、身体に接触するといった行為を連想する人が多いと思われる。当時の私は、こうした行為に走る人は悪いと分かってなお行うと考えていた。最低限の良識がある自分ならやらないという自覚のもと、研修をサボったのだ。

 しかし、ハラスメントはしばしば自覚なく行われる。例えば自分の期待通りに動かない相手に苛立(いらだ)ったとか、仕事内容が気に入らないとか、そういった経緯から加害を「してしまう」。だからこそ、熱意や善意、正義感から他者に加害する可能性は十分に有り得る。

「うまくやり過ごす」ことで生まれる加害性

 先日、日本社会学会理事会の…

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