負けん気貫いた大阪桐蔭・前田悠伍 「人生で一番泣いた」日の経験値

岡純太郎
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(31日、第95回記念選抜高校野球大会準決勝 兵庫・報徳学園7―5大阪桐蔭)

 七回裏、4連打で1点差に迫られ、なおも無死一、三塁。このピンチで大阪桐蔭のエース前田悠伍投手(3年)の名前が、甲子園にコールされた。

 相手の応援が甲子園にこだまする。同点に追いつかれたが冷静さは失わない。一塁への牽制(けんせい)球で走者がつり出されてアウトとなり、味方の援護を待った。

 今大会は先発、ピンチでの救援など、どんな状況でも強気を崩さず、直球や変化球をインコースに投げ込んできた。負けん気の強さの原点は、小学生時代にさかのぼる。

 当時住んでいた滋賀県長浜市では4歳年上の兄、詠仁(えいと)さんと連日のように投手と打者に分かれ、勝負していた。「兄がバッティングが好きで、自分も打ちたいのにずっとピッチャーをさせられていました」

 兄が家の庭を越える「ホームラン」を打つと、前田投手が水の張った田んぼに長靴を履いて球拾いに行かされた。「あの時は打たれるのが悔しくって、いつも大泣きしていました」。悔しいので途中から「絶対抑えてやる」と思っていた。

 そんな前田投手が「悔しさと申し訳なさで人生で一番泣いた」のが、昨夏の選手権大会準々決勝で敗れた、下関国際(山口)戦だ。試合直後は「立っている感覚がなかった」と、先輩たちに肩を支えられた。

 この日の準決勝も試合終盤、勢いに乗る報徳学園の応援が甲子園に響き渡った。昨夏に似た雰囲気を感じたが、「冷静に内野への声かけや、間をうまくとれた」と経験を生かした。

 しかし八回、2点を勝ち越され、敗れた。

 春の連覇はかなわなかったが、手応えも感じた。「負けたのは悔しいが、変化球で相手打者を惑わせる攻め方ができた。いいボールを増やしていけば、ピンチでも抑えられると思う」。夏の飛躍を誓い、球場を後にした。(岡純太郎)

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