第1回ゼロコロナ転換、奪われた母の尊厳 「民主」を疑い始めた市民たち

有料記事

北京=高田正幸

この連載では、習近平(シーチンピン)指導部の唱える「中国式の民主」と人権の関わり合いについて、現場から報告します。初回は、3年にわたって続いた「ゼロコロナ」政策を舞台に考えていきます。

[PR]

 およそ1年前に始まったロシアのウクライナ侵攻を、日米欧は、これまで築いてきた「普遍的価値」に基づく国際秩序への挑戦だと受け止めてきた。同じく、米欧式の普遍的価値に挑戦していると指摘されるのが、共産党による統治が続く中国だ。

 では、共産党はどんな考え方に基づき、14億人もの人びとが暮らす社会を統治しているのか。習近平(シーチンピン)指導部となってさらに進む「中国式」の強調は、世界をどう揺るがそうとしているのか――。

足りないベッド 車いすで亡くなる高齢者

 よく晴れてはいるものの、最高気温が零下にとどまる冷えた1日だった。2022年12月15日、北京市の会社員の50代男性は82歳となる母を抱きかかえるようにして市内の救急診療科に駆け込んだ。

 それより1週間ほど前、中国政府が新型コロナウイルスの流行拡大を厳しく抑え込む「ゼロコロナ」政策の大幅緩和に踏み切っていた。

 母はすぐに発病した。

 5日目も発熱がやまず、数メートルの距離も息切れして歩けなくなった。大学病院の発熱外来を受診すると、直ちに救急診療科に向かうように言われた。

 そこで見た光景を、この先ずっと忘れることはないだろう。男性はそう考えている。

 1階のロビーにつながる救急診療科の廊下が、高齢者が横たわるベッドであふれていた。いや、ベッドすら足らず、床に横たわる人さえいた。車いすで受け付けを待ったまま事切れる高齢者の姿もみかけた。

 病床に空きはない。母のベッドは自分で探すように看護師から告げられた。

 男性は、たったいま人が亡くなったばかりのベッドを競うように確保し、母を横たわらせた。そのまま、明かりがつきっぱなしの廊下で2晩を過ごした。その後、救急用のベッドに移ることができたが、母は病院で過ごす7日目に世を去った。

 この間、1日あたり十数人もの人びとの死亡宣告を聞いてきた。隣のベッドの高齢者が臨終を迎えると、空いたベッドにまた別の高齢者が運び込まれた。その患者もまた、しばらくして息を引き取った。

 母の死は悲しいことだった。だが、最も耐えがたかったことは他にあったという。

強力な統治によってこそ、コロナ禍でも人びとの生命を守ってきたと主張する中国共産党。けれど、「ゼロコロナ」政策の突然な転換によって、市民は嘆き、党の言葉を信じてきた若い党員の心情にも揺らぎが生じています。

風邪薬で治る」 危機を伝えなかった政府

 病院の遺体安置室には、冷蔵…

この記事は有料記事です。残り2765文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

  • commentatorHeader
    江藤名保子
    (学習院大学法学部教授=現代中国政治)
    2023年3月9日13時12分 投稿
    【視点】

    ゼロ・コロナ政策での市民の体験を題材に、「中国式民主」に関する疑義を提する意欲的な記事です。世論統制のなか、厳しい実体験を海外メディア語った市民の憤りの深さを感じます。 これから様々な中国社会の課題が提示されるでしょう。果たしてこれを「民