習政権はあの大気汚染を克服したか 10年の成果とまだ見えぬ出口
中国で5日に開幕した全国人民代表大会(全人代)では、習近平(シーチンピン)氏が国家主席として3期目の続投を決める見込みです。2013年の就任時、中国は世界第2の経済大国に成長した一方、国内で様々なひずみが生じていました。当時の記事には、全人代開催中の北京でPM2・5が「日本の環境基準の約15倍にあたる1立方メートルあたり510マイクログラムを記録」、環境・資源保護委員を選ぶ投票では大量の批判票が投じられ、習氏が「やや困った顔」をしたなどとあります。
近年では大気汚染に関する報道が減り、気候変動対策では世界をリードする姿勢すら見せる中国。環境汚染を克服したのでしょうか。20年以上にわたり、中国の環境問題の現場を調査してきたアジア経済研究所の大塚健司主任研究員に、習政権の功罪と3期目の課題を聞きました。
――13年当時、中国の環境問題をどう見ていましたか。
10年代初めは中国でスモッグが深刻になり、大気汚染が環境対策の大きな論点として認識されるようになった時代です。自戒を込めて言いますと、11年の東日本大震災で私たち日本の研究者の関心は原発事故に移っていました。ただ、その間に中国では大気汚染が新しい段階に入っていました。
習近平氏が国家主席に就任した2013年、中国国内では経済成長の一方、様々なひずみが生じていました。習氏はどう対処し、社会はどう変わったのか。3期目を迎える今、各分野でフィールドワークをしている研究者に聞きます。
――何が起きていたのでしょうか。
1997~99年に私が北京大学で在外研究をしていたころから、大気汚染の対策には力が入れられ始めていました。「面包車(パンの形の車=ワゴン車)」と呼ばれる黄色いタクシーが大気汚染の元凶だとして溶鉱炉に突っ込まれるような映像もテレビでは流れていました。
ただし、2010年代がそれまでと違ったのは経済活動が活発な都市だけでなく、まるで人の体にじんましんが広がるように中国の国土の広範囲に大気汚染が拡大したことです。
党中央主導が顕著に
――政権もさらなる抜本策を迫られたはずです。
当初は1990年代と変わらず工場や自動車の排ガスなど発生源の対策が主でした。それから徐々に手をつけたのが天然ガスへの燃料の移行で、石炭の消費を制限する「大気汚染防止行動計画」が発表されたのが2013年です。
――習氏が国家主席に就任した年です。
そうですね。他にも、党政府幹部の監督責任を追及して相応の制裁を科すいわゆる「問責制度」自体は以前からありましたが、習政権になってから「あの地方幹部は環境対策がうまくいかなかったために降格させられた」というような話を聞くようになりました。強硬的な対策が取られるようになったことも10年代の大きな変化の一つだったと思います。
――習氏は、環境問題をどう捉えていたのでしょうか。
習政権が実施した政策から推…
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