第24回侍J大城卓三、山川穂高が育った沖縄の野球「ゆるゆる」からの脱却

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 那覇空港近くにある瀬長(せなが)島(豊見城(とみぐすく)市)には多くの拝所(うがんじゅ)があり、かつては信仰の島だった。現在は海中道路で陸とつながり、レストランなどが集まるリゾート島に。その一角にある野球場で「大矢ヤング」の中学生の声が響いていた。

 横浜ベイスターズの元監督、大矢明彦さんが名誉監督を務める同クラブは、前身を「SOLA沖縄」という。この3月に開催されるワールド・ベースボール・クラシックWBC)の日本代表「侍ジャパン」に選ばれた山川穂高(ほたか、埼玉西武ライオンズ)、大城卓三(たくみ、読売ジャイアンツ=巨人)が育った硬式野球チームだ。現在、キャプテンを務める赤嶺義文選手(東風平(こちんだ)中2年)は「自分たちのチームから2人も侍ジャパンに選ばれるなんてびっくりした。あこがれの山川選手にはいっぱい活躍して欲しいし、自分は捕手なので同じポジションの大城選手から、試合でどういう動きをするのか勉強したい」と興奮気味に話した。

 現在、東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトを務める大久保勝也さん(55)は、かつてSOLA沖縄の監督を務め、中学生だった山川と大城を指導した。山川は大城の1学年先輩にあたり、2人とも3年生の時には4番を打った。

 「あの頃の山川たちは僕の顔を見ると吐き気がしたんじゃないかな。それくらい厳しく指導しました」と大久保さんは言う。長崎出身の大久保さんから見ると沖縄の子供たちは「ゆるゆる」の印象だった。「のんびりしているのは沖縄の良い文化ではあるけれど、時間をしっかり守る、あいさつをする、というところから教えました」

 そんな中で山川の打球の飛距離は群を抜いていた。「絶対に小さな打撃をするな、と指導しました」。印象に残っているのは食事の量。「遠征先で、からあげ30個を、おひつを抱えながら食べてました」

 大城については「とにかくマ…

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