博多芸妓大忙しの春 かつて2千人超もいまや15人 伝統どう守る
編集委員・大鹿靖明
博多祇園山笠で知られる福岡市博多区の櫛田神社。その向かいのビルに、着物姿の女性が一人、また一人と吸い込まれていく。ここは、博多芸妓(げいぎ)が集まる「博多券番」だ。
博多芸妓は明治・大正の全盛時には2千人を超えたが、いまは15人。コロナ禍がやっと収まり、お座敷の仕事は3年ぶりの大忙しだ。
券番とは、芸妓の取り次ぎや、「花代」と呼ばれる出演料を精算する事務所のこと。地域によっては検番、見番と書く。
芸妓には、三味線を弾いたり唄(うた)ったりする地方(じかた)と、踊る立方(たちかた)がいる。芸妓がそろう稽古場は華やかな雰囲気だが、「入り方がおかしい」「もう一回やり直して」と、厳しい指導の声が飛ぶ修業の場でもある。
午前中が稽古、いったん帰宅し、着替えて出勤する。「おかげさまで、お正月からお座敷がずっと続いています」と、代表のこまこさん。しばらくコロナ禍に苦しめられたものの、こまこさんは「辞めていく人はいなかった」とホッとする。でも「本当は30人ぐらいほしいんです。特に三味線を弾く地方が増えないのが悩みの種」と言う。
博多芸妓は、炭鉱王や豪商の…