あの時のことは、記憶が途切れ途切れだ。
地震から1時間余り、海の方に黒い砂ぼこりが見え、校舎に入った。突然、昇降口に住民らが次々と走り込んできた。
そばにいたおばあさんの手をとり、階段を駆け上がった。校舎に何かがぶつかる音がした。
3階から外を見たときにはもう、1階が真っ黒な水に沈んでいた。
八森伸(のぼる)さん(60)は宮城県名取市立閖上(ゆりあげ)中で、勤務4年目の教務主任だった。2011年3月11日は午前中に卒業式があり、生徒は下校した後。着物姿のままの女の先生もいた。
逃げ込んだ住民は約850人。津波に囲まれた学校は、ひと晩孤立した。
爆発音がする。漏れたガスのにおいがしてロウソクは使えない。懐中電灯を頼りに、2缶しかなかったクラッカーを配った。
各教室に避難した人数を紙に書き出す。気がかりなことがあった。「うちの生徒が少ないな……」
全校生徒約150人のうち、中学校に来ていた子は20~30人。少し先の小学校に行ったのだろうか?
翌日から安否確認に走り回っ…