「私も手伝いたい」を拒んだ亡き恩師 震災から3年後に気づいた真意

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加藤秀彬
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 福島大の陸上トラックの片隅に、1本のハナミズキが植えられている。

 その横に置かれた白銀のプレートには、めがねをかけた笑顔の男性の写真が写っている。福島大教授で、同大と東邦銀行福島市)の陸上部監督を務めた川本和久さん。昨年5月、64歳で亡くなった。膵臓(すいぞう)がんだった。

 「先生なら今の選手の動きをどう見たかなって、練習中に視線を送るんです」

 吉田真希子さん(46)は話す。

 昨夏、川本さんの後を継いで東邦銀行陸上部の監督に就任した。世界選手権に2度出場した、女子400メートル障害の元日本記録保持者だ。

 吉田さんにとって川本さんは、福島大の学生時代と卒業後に進んだ実業団チームでも指導を仰いだ特別な存在だ。

 2010年。吉田さんら福島大出身の選手が所属していた実業団チームの廃部が決まった。選手の受け入れ先を探して奔走してくれたのが、当時大学と実業団チームの監督を兼務していた川本さんだった。

 東邦銀行が新たに陸上部を作り、選手はもちろん、川本さんも監督として受け入れると決まったのは、11年の年明け。東日本大震災は、その直後に起きた。

 3月11日、練習は休みだった。地震が起きた後、携帯電話はなかなかつながらなかった。全員の安否を確認できたのは当日の夜中。数日後、選手たちは予定していた合宿先の沖縄へ飛んだ。

 郡山市出身の吉田さんは振り返る。

「苦しかった」福島を離れること

 「ものすごく心苦しかった。練習をしていることも、福島を離れることも」

 大きな被害を受けた福島の地…

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    中川文如
    (朝日新聞スポーツ部次長)
    2023年7月10日14時3分 投稿
    【視点】

    明日は月命日です。ずっと、改めて紹介させていただきたいと思っていた記事を、紹介させてください。 東日本大震災から数日後、東邦銀行陸上部は合宿先の沖縄に飛びます。監督だった川本和久さんは福島に残り、住民の避難の手伝いや義援金を募るための

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