第35回高津監督はあえて相手エースにぶつけた ヤクルト高橋奎二の育て方
舞台が大きいほど、輝きを増す選手がいる。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表「侍ジャパン」の高橋奎二(東京ヤクルトスワローズ)がそうだ。
初めて全国に名前が知れ渡ったのが2014年の選抜大会。2年生で背番号「10」を背負い、準決勝で完投勝ち。京都・龍谷大平安高の初優勝に大きく貢献した。
「最初の1死までは緊張したけど、投げているうちに夢中に。あっという間に試合が終わった」と、当時を振り返っている。ここから3季連続で甲子園に出場し、15年秋のドラフト3位でヤクルトに入団した。
21年のオリックス・バファローズとの日本シリーズでもそうだった。1敗で迎えた第2戦。レギュラーシーズンでも達成したことがない初完封を、大舞台でやってのけた。シリーズ全体の流れを引き寄せる快投で、20年ぶりの日本一の立役者になった。
中学時代は軟式野球部だった。名門高から注目される選手では「全然なかった」と語る。龍谷大平安高にも部の体験会に参加して進学を決めた。
ぐいぐいと押し込む強気な投球スタイルからは想像がつかないが、高校の原田英彦監督からは親しみをこめて「赤ちゃん」と呼ばれた。明るく、人なつっこい性格で、まだまだ体の線も細かったためだ。その上で「体のバランスがええ。センスがある」というのが監督評だった。
ヤクルトの高津臣吾監督もその潜在能力を開花させようと、あの手この手を使ってきた。
4学年下の右腕、奥川恭伸と…

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