卒業式の季節 別れのあとの心、再生させる曖昧な時間 東畑開人さん
■東畑開人さんの「社会季評」
この社会季評、毎回重たいニュースを重たい筆致で書いてきた。私たちの社会は今、とても重たい荷物を背負っているのだからしょうがない。とはいえ、ときには気持ちが軽くなるようなことも起こるのが社会なのだから、今回は身近なテーマについて書いてみたい。重たい社会でも、四季はめぐって、春は来る。そう、卒業式の季節がやってくる。
以前勤めていた女子大の卒業式に行くかどうか、目下迷っている。小さなカウンセリングルームで日々一人仕事をしていると、性に合っているのか、大昔からずっとこんな生活をしていた気がしてくるが、本当は大学を離れてからまだ1年しか経っていない。私が最後に担当していたゼミの学生たちがこの春でちょうど卒業なのだ。去年の今頃は、コロナもまだ「まん防」が解除されていなかったので、ろくにお別れも言えないまま、退職してしまった。だから、卒業式に行って、彼女たちの門出を祝いたい気持ちがある。
じゃあ、行けばいいじゃないかという話なのだが、そう簡単にはいかない。元同僚たちから歓迎されていない可能性を考えると気がめいるし、何より私は卒業式が苦手なのだ。卒業式とは複雑な感情が入り交じる厄介な儀式である。学生たちは着飾り、華やかで、晴れ晴れとしている。未来に向かって出立する軽やかさがある。だけど、式が終わり、校舎のあちらこちらで記念撮影をする段になってくると、少しずつジメッとしたものが染みだしてくる。口数が減り、気まずい時間が増える。空気が重たくなって、しんみりとしてくる。そして、誰も帰ろうとは言いださない謎の時間がやってくる。
これに耐えられない。同僚た…
- 【視点】
「喪の作業の不全」 以前、震災関連の記事で「あいまいな喪失」という概念を知ったが、この「喪の作業の不全」というのも、なるほどな……と。 まるで東畑さんのカウンセリングを受けているような気分になる原稿。