「身近なこと」世界文学へ昇華 大江健三郎さん、難解さとユーモアと

有料記事

中村真理子

 3日に88歳で亡くなったノーベル賞作家の大江健三郎さんは、核や平和という人類普遍のテーマに生涯向き合った。起点は個人的で身近なこと。それが大江さんのまなざしを通ると、世界を揺さぶる文学になった。

 大江文学の原点は、生まれ故郷である四国の谷間の村。そこから世界文学へと昇華させたのは、障害を持って生まれた長男、光さんの存在だった。取材や寄稿の依頼で大江家に電話をかけると、決まって最初に取ってくれるのは、電話好きの光さんだった。大江さんにとって、光さんは文字どおり、外の世界との扉だったのだ。

 芥川賞を受けた「飼育」(1958年)や、初期の傑作「芽(め)むしり仔撃(こう)ち」(同)で高い評価を受けた大江文学は、63年の光さん誕生を機に変化する。翌64年の「個人的な体験」で、大江さんは障害児を持つ父の葛藤を描いた。命への恐れや絶望に残酷なまでに向き合った。社会的弱者との共生は、変奏しながら大江文学の大きなテーマとなっていく。

 65年の「ヒロシマ・ノート…

この記事は有料記事です。残り898文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

  • commentatorHeader
    副島英樹
    (朝日新聞編集委員=核問題、国際関係)
    2023年3月13日21時37分 投稿
    【視点】

    大江健三郎さんは、第2次世界大戦後50年の1995年12月に広島で開かれた国際会議「希望の未来」に参加し、ノーベル賞受賞者フォーラム「二十一世紀への遺産」で登壇して、次のように語っています。 「それまでに事故、アクシデントも含めて、大きい