第13回「自民は国民を見ていない」野党転落、大島理森・元衆院議長の自省
2007年の参院選で民主党が勝利し、国会が衆参両院で多数派が違う「ねじれ国会」となった際、自民党の国会対策委員長だったのは大島理森・前衆院議長です。その勢いで自民が野党に転落すると、その後は幹事長として野党・自民を支えました。
大島氏は、当時の日記には「自民は国民の方を見ていない。国民の中に入り込んで行かなきゃいけない」と書き込み、反省しました。首相経験者らにも中山間地域でも遊説してもらい、党として長く力をもっていた地方組織の立て直しに力を注いだといいます。
――参院で多数を握った民主は、政権交代の機運を高めようと、あの手この手で政府・与党を追い込みました。
「福田政権で私は国対委員長でした。福田政権は、最初からテロ特措法に加え、予算編成、日銀総裁人事、ガソリン税の一般財源化などの難題に直面しました。そこで『大連立構想』が浮上しました。どちらが仕掛けた話なのか、それは分かりません」
「大連立構想は実現しませんでした。民主は大連立構想が破綻(はたん)してから、ねじれ国会という状況を武器に徹底して対抗してきました。日銀総裁人事では天下りは反対だという大義のもと、大変な抵抗を示しました」
――その後、民主党は09年衆院選で政権交代を果たし、自民は野党に転落した。その後、幹事長になりました。
「なぜ自民の声が届かなかった」日記に書いた決意
「鳩山政権には7割を超える…