17年前、王さんは叫んだ「立つな!」 WBC優勝への勝負師の気迫
鷹見正之
勝負師とはこういうものなのか。その迫力に圧倒された。
2006年、福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督(現・球団会長)が率いる日本代表は、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に挑んだ。
今とは大会方式が違った。日本代表は米国に渡って4チームによる2次リーグを戦い、米国に負け、メキシコに勝ち、韓国に負けての1勝2敗で終えた。
翌日の米国―メキシコの結果次第で、日本が準決勝に進出する可能性は残っていた。
その条件はメキシコの勝利――。
だが、米国が負ける可能性は限りなく低いと思われた。
すでに2敗していたメキシコは試合前日練習を取りやめ、ディズニーランドに遊びに行ったとの情報も入っていた。
王監督は番記者10人ほどを…
- 【視点】
中華料理店で「奇跡」が起きた2006年の第1回WBC。開幕前、日本代表の背番号が発表された時のことです。背番号、選手にとっては名刺みたいなものです。私たち記者にとっても、記事を書く大切なきっかけとなります。 当時、王監督はソフトバンクで「

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