家族3人で卵一つを分け合った 日本語と出会い、少女に芽生えたもの

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タイ西部カンチャナブリ=大部俊哉
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 小さい頃から、看護師になるのが夢だった。

 母と弟と3人で暮らしていた部屋の窓から、大きな病院が見えたからだ。訪れる患者たちを見て、「この人たちを助けたい」と思った。

 高校3年生のウボンワン・クリーディーさん(18)は、タイの首都バンコクの中心部に近い、クロントイ地区のスラムで生まれ育った。

 幼いころに父を亡くし、母と2歳下の弟と3人で、この街の古い小さなアパートで暮らした。大きな病院はすぐ近くにあり、よく見上げながら遊んだ。

 母は洗車会社で清掃員として働き、1人で家計を支えた。体調が悪くても仕事に出かける背中を、今でも覚えている。

 しかし数年がたった頃、肺を患い、働けなくなった。職場で吸い続けた排ガスが原因だった。

 収入は途絶え、食べることもままならない生活。家族3人で一つの卵を分け合った日もあった。空腹で、好きだった勉強もうまくできなくなった。

 13歳のとき、母が近くの財団に「子どもを救ってほしい」と駆け込んだ。スラムの子どもを支援するドゥアン・プラティープ財団だった。

 財団の支援で、西部カンチャナブリ県にある中高一貫の学校に入った。バンコクから西へ約120キロのミャンマー国境沿いにある、自然豊かな県だ。

 ここには、貧しさから売春や麻薬といった非行に手を染めた少女らを無償で受け入れ、職業訓練などを通じて自立を助ける施設がある。そこで共同生活をしながら、学校に通った。

 ただ、施設には女性しか入れない。弟は300キロ以上も離れた北東部の学校に行くことになった。

 母は故郷で療養生活に入った。家族3人、離ればなれになった。

 でも、これで飢えに悩まされることはない。苦しかった日々を思い出すと、勉強できることが心から楽しかった。

母の言葉、胸に

 高校1年生になったころ、日…

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