昨年末に解散したジャイアントジャイアン 笑顔の別れを選んだ理由

木下広大
【LastDay】お笑いコンビ「ジャイアントジャイアン」 最後の日に密着=西田堅一、井手さゆり、小林孝也撮影
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 漫才日本一を決める「M―1グランプリ」。大会をきっかけに華々しく輝く芸人がいる一方、M―1を機に夢を諦める芸人もいる。初出場から3年連続で準々決勝に進んだ経歴を持ちながら、結成10年を目前に、そのコンビは解散した。

 浅井企画所属のジャイアントジャイアン。かーしゃさん(34)とこまたつさん(34)はお笑い養成所の同期だ。

 ネタも書くかーしゃさんがボケながら、自ら突っ込んでいく「自己完結型漫才」で、こまたつさんを振り回しながら進行していくスタイル。

 結成は2013年。当初はコントを中心に活動していたが、合間に肩の力を抜いて披露してきた漫才が評価されるようになり、本格的に始めるようになった。

 結成2年後、5年ぶりに復活した15年のM―1で初出場ながら準々決勝に。この年も含め、3年連続で準々決勝に進出した。

 しかし、そこから思うように伸びなかった。念願の準決勝進出と、変化を求めて「掛け合い型」のスタイルで臨んだ18年はまったくウケず、まさかの2回戦敗退。試行錯誤を続けるも2回戦敗退が定位置になってしまった。

 「解散しようか」

 昨年秋、切り出したのはかーしゃさんだ。

 結婚して2人の子どもにも恵まれた。自分たちがくすぶる間に、娘はあっというまに5歳になり、話せるように。年月の経過を感じていた。

 「次こそ上に行けないとやばい」と焦りをもって臨んだ昨年のM―1でも結果を出せなかった。

 本気でネタの調整と練習を重ね、自信を持って臨んだ2回戦。会場の反応も上々だったが、3回戦進出者の名簿にジャイアントジャイアンはなかった。

 「やりきったかな」。かーしゃさんが相方のこまたつさんを呼び出して解散の意思を告げたのはそれからまもなくのことだった。

 こまたつさんも、「ずっとかーしゃに引っ張ってきてもらったコンビだから」と解散を受け入れた。コンビ結成から9年半が経過していた。

 かーしゃさんは「俺らがくすぶっている5年間で、子どもは歩けるようになってしゃべれるようになって、友達ができたりして。5年って結構経っているんだって思えたのも、解散を考えたきっかけの一つ」とこぼした。

 22年11月に解散を発表。年末に仕事が入っていたこともあり、年内いっぱいまではコンビでの活動を続けることにした。

 ラストライブは12月26日。舞台に選んだのは、同じ事務所の若手芸人でつくる定期ライブだった。

 会場は、漫才師の象徴サンパチマイクもないような公共施設の会議室だが、「その分観客との距離も近い。いっぱい笑って欲しい」との思いを込めた。

 最後まで笑顔を貫いた2人。会場にも見覚えがあるファンたちの笑顔が並んだ。

 かーしゃさんは最後のライブで「(互いに)めちゃくちゃ売れて、現場でなんかやれよってノリになったら(2人でネタを)やるかもしれない」とあいさつ。

 こまたつさんは「(急にできないから)事前には言って」と場を和ませた。

 最後まで仲の良い2人らしい終わり方だった。

 かーしゃさんは構成作家として、こまたつさんはピン芸人として活動を始めている。(木下広大)

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