まとまりのなさが立身出世に響く? 政治学者が分析した栃木の県民性

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山下龍一
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 日本歴史学会が編集する学術雑誌「日本歴史」の3月号に、栃木県の県民性を分析したコラムが載った。筆者は関西大学法学部の若月剛史准教授(日本政治史)。県民の一体感の乏しさや戦前の立身出世のあり方などに独自の分析を加えている。

 発行は吉川弘文館で、コラムのタイトルは「『栃木県人』であること―××県人であることの政治的意味」。

 県人会が戦後出していた雑誌「栃木県人」の記事などを使い、明治時代以降の県民の特徴を分析した。記事の多くが、いかに県出身者にまとまりがなく、それをどう克服するかという問題意識に基づいて、書かれていたという。

県人会などの同郷団体の活動が停滞気味

 若月さんはコラムで、一体感が乏しい理由として、江戸時代にいくつもの小藩が置かれていた点を指摘する。

 さらに、進学を支援する県人会などの同郷団体の活動が停滞気味で、大学などの高等教育機関への進学が不利だったと分析。それによって、同郷の先輩官僚の紹介による中央省庁への就職が厳しくなり、立身出世に響いたとみている。

 1939年の帝国大学学部在学者の輩出率は47道府県のなかで40位だった、という先行研究も引用している。

 そのうえで、戦前の県出身者が比較的進出できたのは、司法や警察の分野だったとの持論を展開する。「県人は直情径行の持主で(略)、かけ引きをするには不適である」(1955年の雑誌「栃木県人」での宇都宮大学教授の指摘)といった見方を紹介し、「正義」に重きを置く分野に進出していたとした。

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