売れなかった、でも愛された 解散した芸人が最後の舞台で見た景色
「解散しようか」
かーしゃ(34)は呼び出したカフェで相方に告げた。
直前に発表されたM-1グランプリの3回戦進出メンバー。
その中に、自分たちのコンビ名「ジャイアントジャイアン」はなかった。
結成から9年半が経った秋のことだった。
かーしゃがお笑いの道へ進んだのは地方の国立大学を出た後の2010年。
子どもの頃、みんなの前で面白いことを言って、笑いを浴びる気持ちよさが忘れられなかった。
お笑いの養成所に入所。しかし、「相方」はなかなか決まらなかった。
あの人の方がツッコミうまいな。あの人の方がしっかりしてるな――。誰かとコンビを組んでいても、すぐ別の面白い人に目移りしてしまう。結局ピン芸人に戻った。
「そろそろお笑いの道に区切りをつけたほうがいいんじゃない」。両親は応援してくれていたが、実家に帰ると口に出さずともそう思われている気がした。
そんなとき、コンビを組もうと声をかけてくれたのが同じ養成所で出会い、よく一緒に遊んでいたピン芸人仲間のこまたつ(34)だった。
1人でぶつぶつネタを考えるのが好きな暗い自分と、何も考えていないけど誰にでも明るく愛嬌(あいきょう)のあるこまたつ。
ともにテレビの世界にあこがれ、生まれ育った地元を飛び出した者どうしだった。性格は正反対だが、自然と気が合った。
面白い人は他にもいる。それでも、仲良いこまたつとのコンビなら、たとえ売れなくても自分の芸人人生に納得できる気がした。
「これが最後だから」。両親に、そう伝えた。
結成当初、力を入れていたの…
- 【視点】
切ないけれど、最後には多幸感すらある記事で、一気に読みました。悲しさとうれしさが重なり合うような展開で、上方落語家の桂枝雀さんが唱えた「笑いは緊張の緩和」という言葉を思い出しました。 「笑い」を生み出すことは、改めてなんと難しいことかと思い