イラクの首都バグダッドに「死の通り」と呼ばれた道がある。
チグリス川の西側を通るハイファ通り。サダム・フセイン政権が倒れた後、米軍と武装勢力の激しい戦闘が続いた場所の一つだ。茶色い集合住宅の壁には、今も無数の銃弾の跡が残る。
「20年どころじゃない」。近くに住むサーミー・ハーシム(62)が大声をあげた。「毎日あの戦争を思い出している。痕跡をいつも目にしているのだから」
米軍が侵攻を始めた2003年3月20日から20年。おびただしい数の人たちが命を落とし、市民は貧しくなった。インフラも整備されず、若者の雇用もない――。そんな不満と怒りの矛先は、米国に向かう。
「大量破壊兵器はどこにあったんだ? 米国の言う民主主義とは何だったのか? サダム時代の方が、よほどよかったじゃないか」
米国社会は分断 そしてトランプ大統領を生んだ
イラク戦争によって傷ついたのは、イラクだけではなかった。冷戦終結後、圧倒的な経済・軍事力を擁する覇権国として台頭した米国も、深い傷を負った。
開戦の根拠とした大量破壊兵器は見つからず、威信は失墜した。「イラク国民は米軍を解放者として歓迎する」という見立ては崩れ、イラクは内戦状態に陥る。米軍が11年に撤退すると、勢力を伸ばしたのが過激派組織「イスラム国(IS)」だ。イスラム過激思想が広がり、欧米などで続いたテロ事件の温床ともなった。
記事後半には、米軍に引き倒されたサダム・フセイン大統領(当時)の像があった広場の今などを伝える動画もあります。
戦争の泥沼化とともに、絶頂…
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- 【視点】
日米同盟を外交・安保政策の基軸とする日本が米国寄りに振る舞う傾向は、米中対立に加えロシアのウクライナ侵攻で強まっています。この連載では日本が頼るその米国の危うさを、20年前のイラク戦争をめぐり深く伝えています。 米国は興味深い国で、二つ
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