ペアを組んだパラ選手が語る、国枝慎吾さんの「プロフェッショナル」

斎藤茂洋
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 パラスポーツ車いすテニス界の世界的なレジェンドで、今年現役を引退した国枝慎吾さん(39)=千葉県柏市出身=に17日、国民栄誉賞が贈られた。地元ゆかりの人々からは、数々の偉大な功績を挙げてきた労へのねぎらいとともに、引退後のこれからの活躍を期待する声もあがった。(斎藤茂洋)

 車いすテニス選手の斎田悟司さん(50)=シグマクシス所属、柏市=は、国枝慎吾さんとペアを組み、アテネなどパラリンピック3大会で、男子ダブルスのメダルを獲得した。これまでの活躍が「若い車いすの子に、『自分も国枝選手のようになりたい』と夢を与えた」とたたえた。

 斎田さんは、三重県出身。車いすテニスが盛んな吉田記念テニス研修センター(TTC、柏市)に通い始め、学生時代の国枝さんと出会った。1999年、競技に打ち込むため、柏市に移住した。そのころの国枝さんは「体はまだ、できあがっていなかったが、(車いすを使って)走るのは速かった」という。

 2人はペアを組んで2004年のアテネ大会に出場し、金メダルを取った。しかし、その頃は車いすテニスは世間的には「リハビリの延長線上」として捉えられており、2人で「スポーツとして見てもらえるようにしたい」と話していた。社会面の掲載だった新聞は、やがて運動面に掲載するようになった。車いすのジュニア選手が増えてきた。

 技術面でも貢献した。車いすが改良され動きが速くなる中、それまではなかった、ネットプレーやサーブアンドボレーを取り入れた。「彼は一般のテニスに近づけようと車いすの枠を飛び越え、チャレンジした。速さを取り入れたスタイルの先駆者でした」

 普段は、ゲームに興じ、バスケットボールを楽しむ普通の人。だが、テニスに妥協はなく、常に自分に厳しくあった。「プロフェッショナルだと思った。だからこそ、長く世界一であり続けた」と振り返る。

 今年1月に引退を公表する前に、会えないかと連絡が来た。出向くと「テニスを続けるため精いっぱい練習してきたが、モチベーションが上がってこない。東京大会で金を取れたのが大きかった」と話し、引退を打ち明けられた。「お疲れ様でした」と言葉を返し、ねぎらったという。

 今後も車いすテニス界に貢献してほしいと願っている。「強い選手を育てるためには、彼の存在は大きい。テニスに関する考えも伝えてほしい」と話す。

 首相官邸での表彰式の後、国枝さんは「障害がある方でも気軽にスポーツを楽しめる環境が来ることを願っている」と述べた。

     ◇

 「この坂道を登っていたんです」

 柏市増尾地区の主婦、北林寿子さん(67)は25年ほど前、車いすに乗った中学生の国枝慎吾さんが、スーパーなどが並ぶ通りの上り坂を夕日を浴びながら登る姿を何度か見た。長女が同じ小学校に通っていて、国枝さんが9歳で背中の腫瘍(しゅよう)を手術し、車いす生活になったのを知っていた。腕力を付けるためだったと思う。

 国枝さんも暮らした同地区は、上りと下りが交互に続く丘陵地帯。登る姿を見たという坂道は300メートル余り。「1人のスポーツ少年ががんばっている姿に見えました」。それから四半世紀。「あの努力の積み重ねが、今につながっているのでしょうね」と振り返る。

 北林さんは現役時代を超えるような今後の活躍を信じている。「競技を引退しただけで、国枝慎吾を引退したわけではない。障害の有無で人と人の間に境が生まれることなどない、という発信をしてほしい。次の活動の方が、私はむしろ楽しみです」と話す。

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