第6回パウエル氏の国連演説、補佐官が明かす舞台裏 「辞表出しておけば」

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ニューヨーク=遠田寛生
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 2003年2月、米国のパウエル国務長官が国連安全保障理事会での演説で存在を印象づけようとした「大量破壊兵器」は結局、見つからなかった。根拠とされた情報にも多くの誤りがあった。何が起きていたのか。パウエル氏の首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソン氏に聞いた。

 ――03年2月5日、パウエル氏は安保理で、イラクの大量破壊兵器査察問題に関する「証拠」を示すことを試みました。どのような経緯があったのですか。

 03年1月29日、ワシントンのオフィスにパウエル氏が入室してくると、机の上に書類を放り投げました。「国連安保理で読み上げる原稿の草案だ」と告げられました。さらに、米中央情報局(CIA)からの書類と人権問題の関連書類を受け取り、2月5日までにまとめろという指示でした。

 無理難題はいつもですが、このときばかりは「無理です」と突き返しました。なぜ国務長官が行かねばならないのかも聞きました。国内外から最も信頼されているのがパウエル氏だから、と言われました。

 その後はバージニア州にあるCIA本部にこもり、5人ほどのチームで原稿を練り続けました。演説の前夜には、ニューヨークの米国連代表部の最上階にある食堂で、午前2時までリハーサルをしました。

記事後半ではパウエル氏や元CIAのやりとりについて証言。もし時を戻せるなら、ウィルカーソン氏がやり直したいと思うことについても語っています。

情報源は発言を撤回 「拷問をやめさせるために」

 ――証拠の信用度に懸念はな…

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