第7回戦争が去っても宗派対立の恐怖が 父を殺された弁護士が乗り越えた壁
2枚の黒い鉄の門扉には、数センチの隙間があった。意を決して扉を引くと、9年ぶりに見る母の姿があった。「マジッドが帰ってきた!」。母は叫び、涙した。
【連載】崩れた覇権 アメリカとイラク戦争20年
イラク戦争の開戦から20年が過ぎました。冷戦に「勝利」し、権力の絶頂でイラクに侵攻した米国は何を誤り、世界に何を残したのか。ロシアがウクライナへの侵略を続ける今とどうつながっているのか探ります。
2003年3月20日のイラク戦争開戦から約4カ月後。マジッド・ハラフ(56)は首都バグダッドに帰郷した。ようやく「平和で自由な人生」が訪れるのだと、安堵(あんど)した。
長い亡命生活だった。独裁だったサダム・フセイン政権下、父親や兄が反政府活動をしたと見なされ、一家は弾圧された。当時、高校生だったマジッド、12歳と6歳の妹ですら投獄された。
湾岸戦争後に民衆蜂起、一家は「反乱分子」に
1991年の湾岸戦争後に南部などで起きた民衆蜂起では、参加した2歳年上の兄が捕まった。
「お前の兄は死刑になった。遺体を回収しろ」
自宅にそんな電話がかかってきた。兄の行方は今も、わからない。
フセイン政権下の弾圧に苦しんだマジッド一家。しかし政権が倒れても、平和な日々は訪れませんでした。記事後半では、宗派対立で肉親を失ってもなお、憎しみの連鎖を断ち切ろうと立ち上がった人物も紹介します。バグダッド市民の暮らしを映した動画もあります。
「反乱分子」と見なされた一…