村上宗隆、吉田正尚の高校時代は?WBC侍ジャパン戦士たちの甲子園

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 WBC準決勝、日本は劇的なサヨナラ勝ちで決勝進出を決めました。国内では、選抜高校野球阪神甲子園球場で18日に始まりました。3点本塁打の吉田正尚選手、サヨナラ打の村上宗隆選手は高校時代、どのような野球をしていたのでしょうか。

 2015年夏、九州学院の村上宗隆選手は1年生ながら熊本大会で満塁本塁打を放つ華々しいデビュー。4番打者として甲子園大会に出場しました。しかし、4打数無安打で初戦敗退。「必ず帰ってきます」と誓いましたが、村上選手が高校時代に甲子園に戻ってくることはありませんでした。ドラフト会議でヤクルトから1位指名されると「1軍で活躍して、日の丸を背負えるような選手になりたい」と語りました。

 2012年春、当時花巻東3年の大谷翔平選手は、選抜高校野球で大阪桐蔭藤浪晋太郎選手と投げ合いました。大谷選手は本塁打を放つなど投打で奮闘しましたが、敗戦。夏の甲子園大会は出場を逃し、結果的にこの試合が高校時代最後の甲子園になりました。

 2014年春、選抜高校野球1回戦の三重戦、智弁学園岡本和真選手は2本の本塁打を放ちチームを勝利に導きました。しかし試合後、八回の好機で打てなかったことを「自分の仕事ができなかった」と悔やみました。

 2017年夏、聖光学院の3年生だった湯浅京己選手は、打撃投手として甲子園に出場するチームに同行しました。福島大会は背番号「18」。しかし甲子園ではメンバーから外れました。打撃練習では「速球に少しでも慣れてほしい」と常に全力投球でした。

 2019年夏、大船渡3年の佐々木朗希選手は、岩手大会準決勝の一関工戦で完封。しかし、決勝では佐々木選手の登板はなく、チームは敗戦しました。

 優勝を目指す侍ジャパンの選手たちの高校生当時と、これまでのWBCでの活躍を並べて比較しました。

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