江戸の「日銀総裁」荻原重秀、悪評は「誤解」 改鋳はケインズ的?
有田哲文

日本銀行の総裁が10年ぶりに交代する。類例のない金融緩和を進めてきた黒田東彦(はるひこ)氏が退任し、重責は植田和男氏に移る。かじ取りのヒントを遠く江戸時代に求めると、マネーと格闘した政策当局者たちがいた。
徳川幕府の要人で、黒田総裁と重なって見えるのが、元禄期の荻原重秀(1658~1713)である。勘定吟味役ついで勘定奉行となり、財政や金融などの司令塔として、貨幣の改鋳を手がけた。1695年に流通させたのが、金の含有量を3分の2に落とした元禄小判である。改鋳で浮かせた金で幕府財政の赤字を穴埋めし、物価高を招いたとして、後世の評判はあまりよろしくない。
しかし『勘定奉行 荻原重秀の生涯』の著書がある村井淳志(あつし)・金沢大学教授(歴史教育・社会科教育論)によると、誤解があるという。元禄小判を発行した直後にコメの価格は確かに急上昇したが、それは冷害の影響が大きい。改鋳後11年間を平均してみれば、年率の物価上昇率は3%程度。日銀が目標とするインフレ率である2%とそれほど変わらない。
徳川幕府の通貨体制は、国内…