第3回家族とロックする 亡き友に届け、もう一度「野音」に立つ夢

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角拓哉
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 ミュージシャンの花男(はなお、43、本名・宮田雅斗)は2016年、東京を離れ故郷の北海道に戻った。03年にメジャーデビューしたバンド「太陽族」の活動休止は、リーダーの花男が決断した。以来、音楽活動の拠点にしてきた地が小樽市だ。

 何度か訪れたことのある居酒屋に1人で立ち寄った時のこと。なりゆきで店のあるじに身の上話をした。

 その男性は言った。「お前、都会から逃げたんだよ。ミュージシャンが田舎に引っ込んだら終わりじゃないの?」。無遠慮な言葉は、路上に捨てられた燃えさしのマッチのように、花男の胸の奥に残っている。

記事後半では、Hump Backの林萌々子さんが花男さんとの出会いを語ります。

 花男はいま、妻(41)、長女の麦(7)、長男の樹(いつき、5)と暮らす。小樽は妻の生まれ育ったまち。札幌生まれの花男にとってもなじみがある。子育てにもいいと移住を決めたのだ。

 「ロックミュージシャンって『家族ができると丸くなる』って言われるから、結婚を公にしない人も多い。俺も『はたから見て幸せな自分にロックができるのかな』って悩んだこともあるけど、自分たちで答えや道をつくろうと思った」

 小樽に来て、音楽を発信するための自主レーベル「宮田モータース」を立ち上げた。「町工場のような場所から、あたたかい音楽を産地直送で届けたい」という思いを込めた。

 花男は毎朝午前7時半に起きる。幼稚園のバスが来るのを長男の樹と待つ。それから、「楽器を持たない」仕事が自宅で始まる。

 一家の収入源は、ライブ活動と自主制作CDなどのオリジナルグッズの販売だ。グッズは花男を応援する全国のファンたちが定期的に購入してくれる。

 評判のよいTシャツのプリントは、妻と花男が手作業でする。それらのグッズは手分けして梱包(こんぽう)し、手書きのメッセージを添えて発送する。

 それが花男の日常だ。「何とか音楽だけで生活できている。ほんとギリギリですけどね」

 花男には夢がある。

 東京の日比谷公園大音楽堂(野音)でもう一度歌うことだ。高校2年のころ、ザ・ブルーハーツの野音ライブをビデオで見てからというもの、特別な会場であり続けている。

 太陽族時代の03年、野音で初めてワンマンライブをした。前日から眠れず迎えたステージから、3千人の客を見上げた。その先に、オレンジや紫が混じり合った夕焼けが広がっていた。

 08年にメジャー契約を打ち切られた後も、花男は「もう一度野音に立とう」とメンバーに言い続けた。誰よりも信じて、支えてくれた人がいた。

 本間真吾。メンバーの知り合いで、花男とは同い年。バンドが一番大変だった10年4月、北海道函館市の楽器店「サウンドパパ」を辞めて、マネジャーを引き受けてくれた。

 「花男の歌は素敵だし、太陽族はいいバンドだから、野音に立てるよ。絶対大丈夫だって」と励まし続けた本間は、その年の12月に亡くなった。31歳だった。突然死だと聞いた。

 「バンドのために、無理をしていたのかな」。花男の心はぽっかり穴があいたままだった。

 22年夏、一つの歌ができた。本間のこと、もう一人の亡くなった親友のことを思いながら、「8月32日」という歌にした。

 《例えば 例えばの話 キミ…

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