ノーベル賞の田中耕一さん流「夢のかなえ方」 第一志望外れ続けても

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聞き手・瀬川茂子 写真・筋野健太
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 2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所エグゼクティブ・リサーチフェローの田中耕一さん(63)は、その後も100本を超す論文を発表。今も作業服で1万歩近く社内を歩き、一線で研究を続けている。どんな思いなのか、聞いた。

 ――毎日、研究所に?

 やりたいことを好き勝手にやらせてもらっています。朝7時前に会社に来ています。部下からの問い合わせがない8時過ぎぐらいまではゴールデンタイム。いろいろ調べたり、論文を読んだり、実験をしたり。そして6時前後に帰ります。

 ――実験も?

 アイデアを持っている若い人が、時間がないと言うと、代わりに実験をやってあげるよと。喜々として部下の下請けをしています。自分の目で結果を確かめたいですし……。

 管理とかマネジメントはほぼできていない状況で、部下に任せている。そのかわり、用もないのにあちこち歩いて雑談し、その時々の課題を聞き、私自身が解決できないにしても、誰かにつなげる。自分で「徘徊老人」といっています。私の肩書はでかいけれど、相談しやすいように、私から話しかけます。この建物には500人以上の研究開発スタッフがいて、1階はサロンのようになっています。社外の方々も訪れ、産学官連携に取り組むきっかけができることもあります。

 ――ノーベル化学賞受賞から20年あまりたちました。

 最初は(受賞者として)扱われるのはつらいので、元首相のように「元受賞者」という立場にできないか、現役を引退して肩の荷をおろしたいと思いました。幸い、その後たくさん受賞者が出て、私1人で担う役割はかなり少なくなりました。

ノーベル賞受賞者が増えたことはうれしいけれど、「十分でなかった部分がある」という田中さん。成功の秘けつや今後、やりたいことについても聞きました。

 こういう賞を受けていながら、私自身は化学の専門家だと思っていない。部下の方が化学の知識があります。

 ただ、本流でずっと深掘りし…

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