第4回ライブツアー移動は1000キロ超 元五輪選手も魅了する「応援歌」
2月15日夜、北海道小樽市は雪が降りしきっていた。
このまちを拠点に音楽活動を続ける花男(はなお、43、本名・宮田雅斗)は、自ら車を運転して北へと出発した。愛器、米・ギルド製のアコースティックギターを積んで。
「ドッコイ生きてる 雪の中ツアー」は2014年に始めた。雪が多い北海道の冬は、移動に苦労する。ライブも減る。そんな時にこそ「あたたかい音楽を届けたい」と思ったからだ。
コロナ下に中断していたが、今年から再開した。最初のライブがあるのは、小樽から300キロ余りの道のりの豊富(とよとみ)町。「日本最北の温泉郷」は、小樽と同じ日本海に面しているとはいっても、極寒の地だ。
「誰かの心に火をつけられたらなあって。そう思って歌っているんです」。花男はRVのハンドルを握りながら語った。
ツアーに回るまちにはライブハウスがないところもある。豊富町の会場は、地元で温泉ホテルを営む上坂仁哉(40)の提案で古民家になった。
上坂は12年に音楽イベント「トヨトミサイル」を立ち上げた。花男とは16年に稚内市での音楽イベントで知り合った。そのころ花男は、メジャーデビューしたバンド「太陽族」の活動を休止し、北海道に戻ってきたばかりだった。
今回のライブは16日午後7時に始まった。21人の客の中には子ども連れもいる。
1曲目、花男は「page」を歌い始めた。
《恥をかいた数は闘った数だ ずっこけた数は進もうとした数だ まちがえた数はまちがえじゃなかったと想える 未来を作ってやるための正しかった数だ》
《もしも仕事やめた人だって 音楽やめた人だって 別れがあった人だって 地元に帰った人だって おれは止まったとは想わない 自分のpageを自分の手で 1枚めくった音なんだ 1枚めくった音なんだ》
上坂はPA(音響装置)を操作しながら、花男の歌に自分の歩みを重ねる。
高校卒業後、上京してPAの専門学校に進んだ。札幌市の音響会社に就職したが、紆余(うよ)曲折があり、29歳で家業を継ぐため豊富町に戻った。
「若いころは音楽で生活するか、家業のホテルを継ぐかで心が揺れた。今は音楽と同じぐらいホテル経営に情熱を捧げている。迷った時は、花男さんの優しい歌が寄り添ってくれる。もしも自分が腐りそうになったら、ぶん殴ってくれるんじゃないかって思う」
17日、豊富町を後にした我々はオホーツク海沿いの道路を延々と南下し、美幌(びほろ)峠を越えて別海(べつかい)町に着いた。走行距離400キロ。東には北方領土が広がる。
ここでのライブは18日の昼と夜の2回、カフェ「ZICO HOUSE(ジーコハウス)」で行われた。カフェは地元の女性たちが営んでいる。
その1人が、冬季五輪に1994年リレハンメル、98年長野と出場した元スピードスケート選手の森野(旧姓・楠瀬)志保(53)だ。5年前、花男の知人から「ライブできる場所を探している」と相談を受けて協力した。この日は3回目のライブだ。
「あたたかくて人なつっこい笑顔を見て応援したくなった。太陽のような、大きな笑顔」。森野は初対面の花男の印象を語る。
歌に引き込まれた。
「花男君の曲は、自分の弱い…