第11回毒ガスで4人の子を殺された母 独裁下で弾圧のクルド人、苦しみ今も
ハラブジャ=高野裕介
「世界は決して忘れない」
2003年3月のイラク戦争開戦から約半年後、米国の国務長官だったコリン・パウエルは、イラン国境に近いイラク北東部ハラブジャを訪れ、演説した。
「今でもあの言葉を覚えている。でも結局、何も変わらなかった」
【連載】崩れた覇権 アメリカとイラク戦争20年
イラク戦争の開戦から20年が過ぎました。冷戦に「勝利」し、権力の絶頂でイラクに侵攻した米国は何を誤り、世界に何を残したのか。ロシアがウクライナへの侵略を続ける今とどうつながっているのか探ります。
あのとき、パウエルに会った女性、スウェイバ・ムハンマドは、両手で顔を覆った。生まれた年はわからない。本人や支援者らの話では、70歳くらいだという。
一人暮らしをする家を訪ねると、20平方メートルほどのキッチンにはベッドが置いてあった。なるべく動かずに生活するためだ。
「私は毒ガスのせいで、目が見えないから」
フセイン政権下の弾圧、米占領後の政権への失望、身元が分からない人ばかりの墓標ーー。イラク戦争後も多くのクルド人が苦しみ続けています。記事後半で紹介する女性は「クルド人に、またこんなことが起きてしまうのでは」と危機感を募らせます。末尾には、クルド人自治区の様子を収めた動画もあります。
イラン・イラク戦争末期、奪われた息子の命
88年3月16日、サダム・…