第5回悩みながらライブ続けた 被災地巡りつかんだ原点「人々を胸熱に」

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角拓哉
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 2011年3月11日に発生した東日本大震災の直後、日本中が自粛ムードに包まれた。

 花男(はなお、43、本名・宮田雅斗)がボーカルを務めるバンド「太陽族」は震災の2日後、ツアー最終日となるライブを札幌市で控えていた。悩んだ末に出した答えは「決行」。喜んでくれるファンがいた一方、インターネットには「やめてほしかった」「今じゃない」と否定的なコメントもあった。

 「今ライブをするのは間違っているんだろうか」「音楽で心が慰められることは不謹慎なんだろうか」。花男は悩んだが、こう思うほかなかった。

 「やっぱり俺たちにできることは音楽だけじゃないか」

花男さんたちの熱い思いが福島県南相馬市のロックフェスにつながります。2014年の第1回で花男さんは演奏を突然止め、語り始めます。

 翌12年、太陽族は福島県南相馬市でライブをした。南相馬南部は東京電力福島第一原発事故の警戒区域(20キロ圏)に含まれ、多くの人たちが県外へ避難していた。

 南相馬が地元の鎌田仁(43)は花男とは10年来のバンド仲間。花男がライブをやると知り、一も二もなく避難先の秋田市から駆けつけた。鎌田は再会を機に、花男が被災地を巡るツアーにパーカッションで参加するようになる。

 岩手県大槌町の仮設カフェで花男がライブをした時のこと。打ち上げで、震災後に大槌で始まったロックフェスティバルにかかわった人から「お前らもフェスをやれよ」と励まされた。鎌田が「みんなが落ち込んでいるからこそ、南相馬でもフェスをやりたい」と言うと、花男も「南相馬が恒例の打ち上げ花火が中止になったままだから、フェスの最後にできないかな。俺が募金を呼びかけて費用を集めてみる」と応じた。

 2人はすぐに動いた。

 実行委員会の代表は、鎌田の知人で、南相馬のJR原ノ町駅近くでバー「LIEBE(リーベ)」を営む吉川勝彦(51)が引き受けた。

 吉川は「音楽イベントはみんなど素人で、苦労の連続だった。『イベント会社を入れた方がいい』という声もあったけど、自分たちの手でやらなければ意味がないと思った。原発事故の風評被害もあったので『福島は安全だ』と示したい思いもあった」と振り返る。

 出演交渉は難航したが、花男も協力して、BRAHMAN(ブラフマン)や竹原ピストルら著名アーティストが応じてくれた。

 「騎馬武者ロックフェス」

 甲冑(かっちゅう)に身をかためた騎馬武者たちが疾走する伝統の祭り「相馬野馬追(のまおい)」にちなむ。サブタイトルは「おかえり ただいま ぼくらのふるさとまつり」にした。

 「地元では『お帰り』『ただいま』という当たり前のことが言える雰囲気がなかった。その状況を変えたかった」と鎌田は言う。実際、フェスを見るために子や孫が里帰りした、と喜ぶお年寄りもいた。

歌い続ける花男さん。4回続けてきた物語の締めくくりに、花男さんと交友のある美術家奈良美智さんがエールを送ります。今後、元ザ・ブルーハーツの梶原徹也さん、Hump Backの林萌々子さん、美術家の奈良美智さんのインタビューも掲載します。お楽しみに。

 14年9月20日、入場無料で開催されたフェスに、2千人の客が参加した。「トリ」を務めたのが太陽族だった。

 セットリストの終盤、代表曲…

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