「お前は、変わった子だね」 87歳、結婚前に桜の下で言われた一言
桜ものがたり2023
「もう、この桜も見納めだなあ」
結婚式の日。空が明るくなり始めた早朝のことだった。普段はしないのに、この日に限って自宅近くの路上に散った桜の花をほうきで掃き清めていた。すると突然、父が家から出てきて言った。「お前は、変わった子だねぇ」
結婚前、最後に親子で過ごす大切な時間。もうちょっと気の利いた言葉でも良かったはず。なぜ、そんな言葉だったのかはわからない。
伊東滋子さん(87)は、1959年4月3日、23歳の時に結婚した。結婚前に住んでいたのは、皇居から近い東京都千代田区三番町。すぐそばの内堀通りから千鳥ケ淵にかけて、桜のトンネルが続いていた。
皇太子だった今の上皇さまと美智子さまのご成婚を1週間後に控え、宮内庁に勤める父は多忙を極めていた。言葉を交わす機会のないまま、慌ただしい日々が過ぎていった。
伊東さんは、4人姉弟の一番上。大きくなった弟たちのためにも、狭い家から早く出て行かねばならないと思った。そして「結婚適齢期」も過ぎかけた頃。このまま家に居続けるのは、肩身が狭い。「良き妻となり、良き母親とならねばならない」。母親の紹介で、夫と結婚した。
式の記憶はない。どんな料理を食べたのか、思い出すこともできない。ただ、これからの生活で不安がいっぱいだった。モーニング姿の夫の横で写真に写るドレス姿の自分は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
結婚後、6人の子どもを産んだ。戦前生まれの自分は、大学に行きたくても行けなかった。だから子どもたちを大学まで出したい。でも、夫の給料だけではとてもお金が足りなかった。46歳になるとき、証券会社に職を得て、働き始めた。
結婚生活は甘いものではなかった。家庭ができても夫は、家族をどこかに遊びに連れて行くこともなかった。花見に出かけた記憶もない。ようやく子供たちを育て上げた時、勤めていた会社「山一証券」が経営破綻(はたん)した。
「まさか破綻するとは思わなかった。自分がその中にいるときは分からないものね」
夫(92)に認知症の症状が表れ始めたのも同じ頃。仕事で一週間出張に出れば、どこに行ってきたのかわからなくなる、ということが起き始めた。帰宅すると夫は、1時間でも2時間でも「お前が悪いんだ」と言って妻のせいにする。言葉だけなら耐えられたが、そのうち身体的な暴力も始まった。
「ちょっと買い物に出て行く…