中山太郎氏が死去、湾岸戦争時の外相 国会の憲法論議で中心的役割
湾岸戦争時に外相を務め、国会での憲法論議で中心的な役割を果たした中山太郎(なかやま・たろう)さんが3月15日、老衰で死去した。98歳。葬儀は家族葬で行った。喪主は長男譲治さん。
旧制大阪高等医学専門学校(現大阪医科薬科大学)を卒業し、小児まひの研究で医学博士。大阪府議から1968年に参院大阪選挙区で初当選し、自民党で参院議員を3期、衆院議員を2009年まで7期務めた。
89~91年に海部内閣で外相を務め、冷戦終結に続いて湾岸戦争が起きた国際社会の激動に対応。97年には超党派での臓器移植法成立に尽力した。衆院で憲法審査会の前身である憲法調査会が00年にできると会長になり、07年まで憲法論議の場を仕切った。与野党合意を重んじて議事を運営する「中山方式」は今の衆院憲法審査会にも引き継がれている。
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- 【視点】
書きました。2000年に衆参両院に憲法について議論する憲法調査会ができたとき、衆院で会長になったのが中山さんでした。当時のメンバーには自民党の中川昭一氏から社民党の辻元清美氏まで、つまり改憲派から護憲派まで、ベテランも若手もいて議論は熱く、