突如のイップス、恐怖心と戦った100日 支えになったあの人の言葉
(25日、第95回記念選抜高校野球大会2回戦 愛知・東邦6―3香川・高松商)
25日の選抜大会2回戦で東邦(愛知)と対戦した高松商(香川)は、春夏通じて甲子園50回目出場の古豪だ。「守り勝つ野球」が身上だが、江西一郎選手(3年)は昨秋の公式戦で失策し、イップスに悩まされてきた。乗り越える支えになったのは、グラウンドで臨時コーチを務めてくれた「あの人」の言葉だった。
半年近くが経った今でも、あの試合を思い出すと少し背筋が寒くなる。
昨年10月、思い切りの良い打撃を評価された江西選手は、香川県大会準決勝の寒川戦に一塁手で先発出場した。
一回表、先頭打者のボテボテのゴロが目の前に転がってきた。前進して捕球し、ベースカバーに来た投手へいつものように送球した。
ところがボールは投手の背後にそれ、ファウルゾーンを転がった。判定は失策。それを足がかりに先取点を奪われた。
気持ちを切り替えようとしたが、守備につくたびにあのプレーが頭をよぎった。五回にはバント処理の送球がすっぽ抜け、この試合2度目の失策。直後に交代を言い渡された。
この試合がトラウマとなり、思い通りにボールを投げられなくなるイップスに陥った。
ボールを投げても大きくそれた。夜は不安で寝付けなくなった。初めて野球が楽しくないと感じた。「守り勝つ」チームで、守備が不安定になった自分。「終わったな」と思い詰めた。
だが、あきらめなかった。江西選手は徳島市出身。元高校球児の父・克敏さん(55)の影響で小学2年生で野球を始めると、中学時代から香川県のクラブチームに通った。チームの先輩だった巨人の浅野翔吾選手に続こうと、親元を離れて高松商へ進学した。
「たくさん後押ししてくれた親に少しでも恩返ししたい」。スマートフォンでイップスについて繰り返し調べ、成功体験を重ねていくことが克服への一歩と信じた。毎日目標を立てて、今の自分にできる練習に取り組むことにした。
ネットへの投球練習から始め、「相手の胸に投げる」「距離を伸ばす」などとレベルを上げていった。朝一番にグラウンドへ行き、放課後は誰よりも遅くまで残った。
「今日はこれぐらいで」と心が折れそうなときは、1年生の冬に高松商を訪れた臨時コーチのことを思い出した。そして気持ちを奮い立たせた。臨時コーチは、あの元大リーガーのイチローさんだ。
江西選手の名前は、克敏さんが尊敬してやまないイチローさんにちなんでつけた。江西選手の実家にはイチローさんのサインなどがあふれている。
「自分の打撃見てもらっていいですか」。高松商のグラウンドを訪れたイチローさんに、真っ先に声をかけたのは江西選手だった。
打席での構えや立ち位置を教えてもらった。帰り際のイチローさんは「見てるから」と言ってくれた。苦しいとき、「憧れの人」から「見られているぞ」とカツを入れた。
今年1月。動いている相手に正確に投げることができるようになった。「あの試合」から100日がたっていた。
「もし代打で出たなら、相手がびびるようなスイングを初球からやってみせます」。江西選手は試合前にこう宣言していた。
九回、代打で打席に立った。左邪飛に倒れたが、全球フルスイングした。「観客のどよめきに飲まれそうになったけど、弱気にならずにバットを振れた。夏はレギュラーで出ている姿を両親に見せたい」。(堅島敢太郎)
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