第2回目の前にモダニスト丹下健三 原広司は「反近代でやるしかない」

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聞き手 編集委員・大西若人
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 《1955年、東京大に入学し、駒場寮での生活が始まる》

 ベッドが並ぶ6人部屋で、壁には王維とランボーの詩が落書きされている。旧制一高時代の教養が残っていたんです。飯田にいた時とは全く違う、広い世界を見る場所に来たんだと思いました。

 ドイツ語の授業でも、こんなことがありました。先生はいい生地のコートを着て教室を歩きながら話していたんですが、薪みたいな机か椅子に引っかかり破れたんです。でも全く気にせず、ハンス・カロッサの『日記』を延々と読んでいる。その姿に感動しました。

 相変わらず飢えと栄養失調で、家庭教師も続けていましたが、寮の汚い部屋も含め、知的な憧れの世界が目の前に現れたんです。理系なのに芸術の話ばかりしていたら、寮の友人から「科学と芸術を融合するのは建築だ」って言われて、それならそちらに行こうと。

建築家の原広司さんが半生を振り返る連載「札幌ドーム 梅田スカイビル 建築に何が可能か」全4回の2回目です。

 《進学した57年の工学部建築学科には、新進気鋭の建築家・丹下健三助教授がいた》

 (旧)東京都庁舎の設計など…

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