石破氏が語る文化庁移転「急速に失せた地方創生、意識をもう一度」
文化庁が27日、京都に移転し、長官らが業務を開始した。地方創生の目玉とされた文化庁の移転をいまどう見るか。移転決定時の2014~16年に地方創生相を務めた自民党の石破茂元幹事長に聞いた。
――中央省庁の中で唯一「全面的に移転」とされた文化庁が、京都に移転した。文化庁移転の意義は。
「初の試みで、正直に言えばやってみないとわからない。東京一極集中をいかに打破するかが目的であり、文化庁の移転は一つの手段。民間企業にどれだけ地域分散と言っても、霞が関があり永田町があり、権力の源泉が東京にあるから、企業も東京に集まる面がある。人為的に権力を分散させないとどうにもならない。首都移転などと言っても前に進まないなら、中央官庁を地方に移すのが良いだろうと。シンボリックな動きとして文化庁を選んだ」
「水産庁は下関や気仙沼、林野庁は長野でも」
――文化庁が京都に移る背景は。
「(東京での業務が必要な)国会答弁や海外との調整が少ない役所であり、やっぱり文化と言えば京都。国宝や重要文化財が多いのは1番が東京、2番が京都。文化行政による新しい日本の作り方を考えたときに、一番親和性があるのが京都だよねと。現場に近い方が、良い行政ができる。水産庁は下関でも気仙沼でも良いし、林野庁は長野でも良い。東京だけが日本ではないことを発信するにも、京都が良いだろうというのがあった」
――文化庁の後に続いて、他に地方移転するような省庁は見当たらない。世間の関心も薄れているのでは?
「それは2次募集、3次募集をかけないからだ。1次募集で徳島が消費者庁、和歌山が総務省統計局。選ばれなかった自治体もある。3年に1回か5年に1回、もう1回どうですかみなさん、うちの県にこの省庁が欲しいなというのはありませんかと。このプロジェクトは継続的にやらないと、一過性で終わる」
――なぜ、募集をかけないのでしょう。
平成という時代に終わった国家モデルは
「熱意がなくなったのでは…
- 【提案】
文化庁が正式に一部移転の上での業務に入ります。石破大臣のもとで進めた地方創生の一つの実験的な試みです。この記事は、当の大臣の発想が明確に伝わる記事ですし、大臣のこの問題への責任感も伝わってきます。本来あるべき政策の形と大臣の責任とはこのよう
- 【視点】
「熱意がなくなった」「盛り上がりが急速に失せた」という言葉が、重く響きますね。日本政治全体に、人口減時代という危機をいかにして突破していくかというエネルギーが、急速に失せているように私も感じます。地方創生に限らず、です。 それは、政治