高松商の主将、ひざをつき三塁で祈る 99年前に病死した先輩へ

安藤仙一朗
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(25日、第95回記念選抜高校野球大会第7日 愛知・東邦6―3香川・高松商)

 脈々と受け継がれてきた祈りの姿だった。

 第2試合。出場36校の最後に高松商が登場した。

 試合前のあいさつの整列が解けると、主将の横井亮太は三塁の守備位置に真っ先に駆けていった。帽子とグラブをとり、ベースの前で片ひざをつく。手でベースに触れながら約10秒間、目を閉じた。

 高松商は1924(大正13)年の第1回大会で優勝した。このとき、三塁手だった志摩定一さんはその年の冬、肺の病気で亡くなった。

 「俺は死んでも魂は残って三塁を守る」。そう言い残したという。

 試合開始時に三塁で祈りを捧げる――。「志摩供養」と呼ばれる高松商の伝統だ。

 「覚悟を持ってやらないといけない気持ちになった」。横井はこの日の祈りをそう振り返る。

 一回表、三飛とゴロで二つのアウトをとった。裏の攻撃は先頭で打席に立ち、右前へ安打を放った。

 7日前、大会は横井の選手宣誓で幕を開けた。

 「戦争、紛争、そして災害。私たちが野球に打ち込んでこられたように、全ての若者が夢を追いかけられる平和な世の中になることを願わずにはいられません」

 落ち着いた口調で訴え、大きな拍手を浴びた。

 戦禍による中断、コロナ禍による中止を挟みながら、大会もまた脈々と歴史を紡いできた。

 大正、昭和、平成、令和と4元号で出場を重ねてきた高松商の主将は、伝統の重みも白球を追えることの意味も人一倍、分かっていたのではないだろうか。

 「勝ちきれなかったけど、野球ができる喜びはかみしめながら楽しめた」。そう言って球場を去った。

 大会が始まって99年の今年、一校も欠けることなく初戦を終えた。(安藤仙一朗)

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