第3回更地となった福島の自宅は美術館に 「方丈記」に被災の経験を重ねた

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川野由起 有元愛美子
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 美術館「MOCAF(モカフ)」には施設がない。あるのは更地と案内板だけだ。

 12年前の東日本大震災と地元の原発事故まで、福島県富岡町職員だった小貫和洋(74)が住んでいた自宅跡だ。家業は瀬戸物屋「ひろや」。呉服屋や菓子店などの並ぶ商店街で、食器を洗う音や子どもの声がよく聞こえた。秋には出店が並ぶ「えびす講市」もあった。

 小貫が役場で働き始めたのは1969年だった。東京電力福島第一、第二原発の相次ぐ建設で、町に人が増え、活気があった。家の商売も手伝い、新規開店の喫茶店を訪れては、カップなどを売り込んだ。

 「アメリカンにはこれ、ウィンナコーヒーにはこれ」

 震災が起きたのは定年退職して2年後で、嘱託で図書館長を務めていた。図書館は、建設準備から携わった町の文化交流センターに入っていた。当時からまちづくりにはアートや文化が必要だと考えていた。市民オーケストラの創設に向けて音楽指導員の資格をとった。瀬戸物屋もアトリエにと構想していた矢先だった。

「技術を磨くだけで人間を守れんだべか」

 センターが町の災害対策本部

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