米収容所で銃殺の「ワカサ」は何者か 外務省文書に記載でも深まる謎
第2次大戦中、米ユタ州にあった日系人対象のトパーズ強制収容所で起きた男性の射殺。男性の身元が不明な中、当時の日本の外務省が、男性の郷里とされる石川県旧高浜町(現志賀町)とやりとりした公文書が残っていた。米国側の記録では男性は「ワカサ・ハツアキ」。だが、公文書からは「若狭初太郎」の可能性が浮かび上がった。
当時63歳とされるワカサ氏は1943年4月11日に射殺された。独身で米国に親戚もいなかったというワカサ氏の情報は乏しく、写真も残っていない。
射殺から80年となる今年4月、日系人らが追悼イベントを米国で催すのを前に、射殺を「無実の悲劇」とみるカリフォルニア州在住の日系3世で元ジャーナリストのナンシー・ウカイさん(69)が来日。名古屋市の知人らと調査を進めるうちに、日本の国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトから関係文書を見つけた。
外務省などの文書から浮かんだ「ワカサ」
米当局にワカサ氏が申告したとみられる記録では名は「HATSUAKI(ハツアキ)」。収容所で発行された新聞は、葬儀を伝えた際に「若狭初明」と書いた。
射殺から8カ月後の43年1…
- 【視点】
80年前に米西部ユタ州の荒野にあった日系人対象のトパーズ強制収容所で起きた銃殺の「悲劇」を追った記事の続編です。いまだ分からぬままのワカサ氏の身元を探る調査を取材しました。記事にあるように、当時の外務省の文書でもワカサ氏の身元についてのやり