「平成の鬼平」が開放した会議室閉鎖 「千円」で使いたい放題だった
市民派弁護士として知られ、「平成の鬼平」とも呼ばれた元日本弁護士連合会会長の故・中坊(なかぼう)公平さんが31年前、格安で開放した会議室「プロボノセンター」が4月末に閉鎖されることになった。大阪地裁・高裁のそばにあり、弁護士や訴訟当事者、市民団体などに幅広く利用されてきた。公共のため、よき社会のため――。センターの原点には、弁護士業に対する中坊さんのある思いがあった。
「プロボノ」はラテン語「Pro(プロ) Bono(ボノ) Publico(プブリコ)」の略。「仕事で培った知識や経験を生かし、ボランティア活動で社会貢献する」といった意味があり、米国の弁護士らが無償で法律相談をしたことが始まりだとされる。日本でも約30年前から、弁護士業界を中心にプロボノ活動が徐々に広がってきた。
中坊さんは1992年、弁護士や市民団体などの「公益に資する活動」を支援しようと、法律事務所が集中する大阪市北区西天満のビル内にセンターを設けた。約100平方メートルのフロアは、かつての中坊さんの仕事場だった。
「戦後最大の詐欺商法」といわれる豊田商事(本社・大阪市)の事件。同社の破産管財人として、この場所で被害弁済などの業務に打ち込み、一段落した際、センターとして開放した。
管理人を約20年間務めた津村裕子さん(73)は、開設の理由を語った中坊さんの言葉をよく覚えている。
「弁護士は他人の不幸でメシ…
- 【視点】
今の事務所に入所してすぐに、当時のボスから、お金(利益)にならなくてもやらなければならない仕事があるということは、よく言われていました。 困っている人の助けになりたい、誰かの役に立ちたい、という想いで弁護士を目指す方が大半ではないかと思いま