大江文学は近代の呪縛から解放されるための祈り 小川公代さんに聞く
ノーベル賞作家の大江健三郎さんが亡くなりました。残されたことばを手がかりに、大江さんの作品が照らしたものを英文学者の小川公代さんに聞きました。全集がでた3年ほど前から大江作品を再び読み始めた小川さんですが、全集を手にした当初、「大江健三郎って『ケアの倫理』の人だったんだ」と気付いてびっくりしたそうです。
葛藤こそ成熟 大江文学と重なる「ケアの倫理」
大江健三郎さんは、近代が自己にもたらした弊害について考え続けていた。このことが大江健三郎を大江健三郎たらしめた、と言って良いと思っています。個や自由を重視する欧米の文学に親しむ一方、脳に障害のある長男が生まれて以降は、家族と生活を営む現実の自分が、近代市民社会が理想とする自由で独立した主体としての「個人」と対極の状態に置かれてしまった。このことが強く影響していたのではないでしょうか。
肥(ふと)った男と知的障害のある息子・イーヨーの親子関係を描いた『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)では、男は常に息子と一緒にいます。「息子とかれをつないでいた(略)束縛の重いきずな」は男の自己救済にとって大切なものでした。同時に、男にとって自由は「粘着力の極端に強い紙テープのようにかれの掌(てのひら)と心から剝ぎとれない」ものでもあった。束縛はもっと苦しく、自由ってもっといいものではないの?と思いませんか。大江さんはこの作品で、自由と束縛の価値を再定義しているように読み取れます。
大江さんの作品には様々なテーマがありますが、その基礎には「ケアの倫理」があるように感じてなりません。ケアの倫理とは、他者との関係性のなかで自分がいかにあるべきかを考えるものです。他者が手かせ足かせとなる状態にあっても、配慮せずにはいられない。その葛藤こそ、人として成熟した状態だという見方です。
「ケアの倫理」を提唱した米国の発達心理学者キャロル・ギリガンの主著『もうひとつの声で』(82年)は、妊娠中絶した女性たちと、中絶しなかった女性たちへのインタビューが本の半分ほどを占めています。女性は自分の自由と胎児の命との間で、産むのか中絶するのか、なかなか決断できずに揺れ動きます。このジレンマの問題は、近代市民社会が理想とする自己とはかけ離れているわけですが、この葛藤こそがギリガンの考える倫理的な態度なんです。『個人的な体験』(64年)をはじめとする大江さんの文学と重なりますよね。
しかも、大江さんをほうふつとさせる、障害のある息子の父親は、次第に息子のニーズに喜びを感じながら応答し始める。
ギリガン以前の発達心理学者の代表格といえば、フロイトでしょうか。フロイトは、人格形成には象徴的な「父殺し」が必要だとしています。発達段階にそれが不十分とされる女性は、確固としたアイデンティティーを築くに至らず、他者やその時々の状況に左右される優柔不断な存在になると規定している。近代市民社会の理想的な主体に、葛藤する主体はあてはまらないと考えると、いかに近代が男性中心主義だったかが分かりますね。多くの女性たちは人間関係や他者のニーズを重視し、いろいろな関係性のなかで自分の態度を選びとろうとする。その葛藤を倫理的だと評価し、そのなかに成熟や希望を見いだすギリガンとは正反対ですね。
『もうひとつの声で』は80年代に出版されたということもあり、そのなかで妊娠や出産に関する問題を引き受けるのはほとんどが女性です。自由な個人であろうとする男性が、胎児の責任を取ろうとすることなんてあまり無かったのでしょう。でも、大江さんは違いました。
私は、「ケアの倫理」から文学作品を読み解く文章を月刊誌で連載し始めた約3年前に、刊行後間もない『大江健三郎全小説』を購入し、再び読み始めました。すると「ケアの倫理」と重なる話がたくさんあるのです。「大江健三郎って『ケアの倫理』の人だったんだ」とびっくりしました。やっぱり権威的なイメージがあるから、ちょっと意外でしたよね。
近代的な善しあしより、優先するのは息子との紐帯
『われらの狂気を生き延びる…