ビンテージジーンズは700万円 完全予約の古着屋、60年代に憧れ

松原央
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 100年前のジーンズは1本700万円、1980年代製のバスケットボールシューズは最高200万円――。三重県四日市市に、60年代の米国製ビンテージを中心とした「時価」総額が数千万円にもなる衣類を集めた知る人ぞ知るショップがある。90年代以降、若者の間で火がついた古着ブームとは様変わりし、近年は投資目的で価格が高騰しているという。

 四日市市郊外ののどかな田園地帯にある一軒家。ガレージに無造作にとめられた55年製のビンテージ車「シボレー・ノマド」が、訪れる人を出迎えてくれる。2階に上がると、古びたリーバイスのジーンズや、米国の大学のロゴが入ったシャツやトレーナー、ナイキやコンバースのスニーカーなどカジュアルな衣類が所狭しと置かれている。

 オーナーの木本力さん(44)は「米国に憧れ、背中を追いかけて育った世代」。店内には、過去20年以上かけて渡米して買い付けた「お宝」が並ぶ。店は完全予約制。全国の愛好家が日に数組、SNSで商品を指定して購入に訪れる。客層について「昔と違って着て楽しむのではなく、投資対象として買うお客さんが多い。古着を通じて経済の大きなうねりを実感している」と話す。

 四日市市出身の木本さんは、10代のころから米国製の古着を自分で買い付けてはフリーマーケットなどで売っていた。21歳のとき、四日市市中心部に古着店「KBS」を出店した。

 日本で古着ブームが本格化したばかりのころで、年に数回渡米しては田舎町をレンタカーで回り、「スリフトショップ」と呼ばれる古着や家具のリサイクル店などで商品を探した。「あのころは、1日に1、2着は数ドルでお宝が買えた。いくらで売るかは自分の価値観で決められた」。インターネットが全盛になる前、古着がまだ一部のとがった若者の楽しみだった時代の懐かしい思い出だという。

 だが、当時の古着ブームは、2008年のリーマン・ショックのころにあえなくついえた。趣味の古着に大金を出す人が減り、木本さんの店の売り上げも3分の1に激減したという。

 10年代に入り、そんな「氷河期」から救ってくれたのは、タイなど新興国から買い付けに来る新たな顧客だった。「かつての日本のように、豊かになった若者たちが本物のビンテージを求めだした。60年代の米国文化には、時代と国を超える魅力がある」と、あらためて気づいたという。

 そしてコロナ禍以降、世界的な金融緩和で余った投資資金の対象になったかのように、ビンテージ古着の価格が高騰しだした。顧客とはSNSで連絡を取り合える時代になり、20年に市中心部の店を人に譲り、自宅の2階に本物のビンテージだけに絞った予約制の店を設けた。

 「今は好き嫌いよりも投資対象としての価値が、値段を決める時代。若かったころに自分の価値観を信じて集めた物が評価されるのは、うれしいけれど……」と少し寂しそうに話した。

 木本さんにとって憧れだった米国も様変わりした。自国第一主義を鮮明にしたトランプ前大統領の誕生や、相次ぐ銃乱射事件など、超大国の落日を感じさせるニュースが相次ぐ。

 「ネット全盛の時代の米国には魅力は感じない。画一化が進んでいるような気がして」。一方でそんな時代だからこそ、60年代の米国製ビンテージの輝きは増しているとも考えている。「若さとともに、自分にとって楽しいことはすべて済んでしまった。でも、そんな手の届かないところにあるからこそ、ビンテージは魅力を放つのだと思う」。

 問い合わせは、木本さんのメール(kbs0593565657@docomo.ne.jpメールする)まで。(松原央)

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