「気分屋」エースを変えた相棒の言葉 中学からの2人の夢のために

板倉大地
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 阪神甲子園球場で28日にあった選抜大会の3回戦。東海大菅生(東京)を相手に1点を追いかける八回裏、沖縄尚学のエース、東恩納蒼(ひがしおんなあおい)投手(3年)は三塁に走者を背負っていた。

 ここまで好機をものにできず無得点。もう点をやれない場面だ。

 主将の佐野春斗選手(同)は、内野陣をマウンドに集め、東恩納投手に言った。「気合、入れていけ」。直後、打者を3球で三振にとり、その後のピンチを切り抜けた。

 チームは五回には無死満塁、六回には1死二、三塁の好機をつくったが、生かし切れず0―1で惜敗。ベスト16で春の舞台は幕を閉じた。

 佐野主将と東恩納投手は、中学時代のチームメートだ。当時も2人は主将とエース。3年になり進路を考える際、東恩納投手は県外の高校に進もうと考えていた。

エース「口説いた」主将、言葉にこめた「沖縄の野球」への思い

 陸続きの他県と試合がしやすく、トレーニング設備も充実した県外の高校に魅力を感じていたからだ。

 でも、同じチームにいた佐野主将の一言に背中を押され、その選択を大きく変えることになった。

 「沖縄尚学に行って、一緒に甲子園で優勝しよう」

 ここ10年ほどは他県に進学する中学生も多く、沖縄勢は甲子園で決勝に進めていない。佐野主将には「沖縄の代表として、甲子園で優勝して、地元の人を喜ばせたい」。そんな強い思いがあった。

 そして、東恩納投手となら、再び沖縄を全国の頂点に導けると考えていた。

 当時のレギュラーのほとんどが県外に進学するなか、2人は沖縄尚学に入った。

 選抜までの道のりをともに歩んできた佐野主将から見た、東恩納投手は「気分屋」。

 練習や片付けの指示を出しても、調子が悪いときは言うことを聞いてくれない。新チームになって、他の部員も言うことを聞いてくれなかったときは落ち込んだ。特に、「相棒」のはずの東恩納投手が加勢してくれないことに、腹も立った。

 でも、「誰でも気分が乗らないときはある」。そう思い直し、自分がそんなエースを「乗せる」役目なんだと自覚した。調子が悪そうなときは、あえて良かったところを褒めてきた。

全国の壁にぶつかった秋、衝突して成長した2人

 チームは強力打線と、最速145キロの直球を持つ東恩納投手の力投で、秋の県大会と九州大会を勝ち上がった。

 ただ、全国の壁は高かった。昨秋の神宮大会の初戦で、夏の王者、仙台育英に九回表まで4点をリードしたものの、その裏に東恩納投手が相手打線に捕まった。連打を浴び、一挙5点をとられてサヨナラ負けした。

 内野や外野がミスをしたこともあり、誰も東恩納投手を責めなかったが、佐野主将はあえて厳しく接した。「お前があそこでチームを勝たせないといけない。勝利に導く投球をしてくれ」

 さらに力をつけて甲子園では負けない投手になってほしい。沖縄尚学へ誘ったときに約束した、甲子園での優勝を2人でかなえるためには、必要なことだと思った。

 「俺ばかりに頼るな」と言い返してきた東恩納投手だったが、その日以降、様子が変わった。1人で黙々と練習していたのに、投手陣にアドバイスをする姿をよく目にするようになった。

3年前の「誓い」果たすため、目指す夏の夢舞台

 試合本番も、速球で押していく投球から、変化球でかわす場面が多くなった。

 「お前は本当に良い投手だから、投げてくれれば絶対に勝てる」

 佐野主将は甲子園入りしてから、東恩納投手によくこう声をかけてきた。気分を乗せる意味だけじゃない。最近の投球を見ての本心だ。

 甲子園での3試合、自責点はわずかに2点。東恩納投手は「ここ(沖縄尚学)を選んで良かった」と話す。

 佐野主将も「やっぱり頼りになる存在。彼がいないと甲子園には来られなかった。誘って良かった」。夏は必ず、2人で誓った言葉を実現させるつもりだ。(板倉大地)

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