午後4時に放映されるトヨタイムズをご覧ください――。トヨタ自動車グループの部品メーカー首脳が、トヨタからメールを受け取った。
直後、トヨタの自社メディア「トヨタイムズ」をパソコンで視聴し、豊田章男社長(66)の冒頭発言に息をのんだ。
「本日の臨時取締役会で、本年4月より会長の内山田竹志が退任し、新会長に私、豊田章男が、新社長に佐藤恒治が就任することを決定いたしました」
1月26日に発表された、14年ぶりとなるトヨタの社長交代。グループ各社はトヨタが「共存共栄」を誓う、いわば身内だ。その首脳に気配すら伝わっていなかったほど、保秘は徹底していた。
豊田氏は近年、後継者について公に発言するようになってはいた。しかし、社内では「70歳までは続ける」との見方が大勢だった。なぜこのタイミングで交代に踏み切ったのか。
自身がトヨタイムズで語った「トリガー(引き金)」は、世界初の量産ハイブリッド車(HV)「プリウス」の生みの親である内山田竹志会長(76)が、高齢を理由に退任を申し出ていたことだった。
その内山田氏は、自身が会長職を退くのと同時に「豊田章男にはトヨタグループの37万人、(自動車関連産業で働く)550万人をさらに超えて、日本の産業界全体に大きく羽ばたいていただかないといけない」と豊田氏の会長就任を後押ししたという。
豊田氏の父で、当時トヨタ名誉会長だった豊田章一郎氏の意向もあったとされる。
「もうそろそろ、お前もいいんじゃないか」
社長としての引き際について章一郎氏からそう伝えられていたと、章男氏は周囲に語っている。章一郎氏は、社長交代の発表を見届けたかのように、2月14日に亡くなった。
しかし、複数のトヨタ関係者は、こうした事情だけではない、豊田氏の心境を感じ取っていた。豊田氏に近い幹部は言う。
「社長は日本を愛して経営してきたが、心が折れてしまいそうだった」
予兆はあった。
社長交代発表の、3週間前のことだ。
「ここ日本では、私たちに対して『ありがとう』の言葉が聞こえてくることはほとんどありません」
東京で開かれた自動車関連団…