沖縄勢を鼓舞して42年 甲子園で指揮棒を振る「総監督」は74歳

板倉大地
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 4年ぶりに観客の声援が戻り、指笛がこだまするアルプス席。第95回記念選抜高校野球大会沖縄尚学の応援で、コロナ禍を経てようやく甲子園に戻った沖縄らしいにぎわいの様子を、羽地靖隆さん(74)は、感慨深く見渡した。

 強豪の尼崎市立尼崎高校(兵庫県吹奏楽部で総監督を務める、同高元教諭の羽地さんが、アルプス席から指揮棒を振って42年。故郷の沖縄から甲子園の土を踏んだ球児たちを、演奏で鼓舞してきた。これまで応援した沖縄の学校は春夏合わせて16校。見届けた勝利は、この春で84回にのぼる。

 28日にあった沖縄尚学対東海大菅生(東京)の3回戦。羽地さんはグラウンドで試合をする沖縄尚学の選手たちを見つめ、指揮棒を構えた。走者が得点圏に進むと、吹奏楽部員たちに「ハイサイおじさん」の演奏を指示した。

 チャンスのときにおなじみの軽やかなメロディーが、球場全体を包み込んだ。合いの手に観客の指笛が入って醸し出す一体感は、どの曲にも負けていないと思う。

 沖縄勢の応援演奏を始めたのは、1981年の夏。その年の代表校は興南だった。遠征費がかさむため応援団が沖縄から来られないからと、地元兵庫の沖縄県人会から演奏を頼まれた。

 中学2年で沖縄の離島・伊良部島から兵庫へ移り住み、当時は尼崎市の中学校で音楽の指導をしていた羽地さん。元々野球が好きで、高校野球もよくテレビで見ていた。「故郷の球児のためなら」と演奏を引き受け、教え子とともに応援に駆けつけた。以来、ずっと応援演奏を続けている。

 沖縄勢は58年夏の初出場以降、春夏の甲子園で長年優勝はなく、初戦敗退も多かった。90年から2年連続で沖縄水産が夏の決勝で敗れたときは、アルプス席で悔しさをかみしめた。

 だからこそ、沖縄尚学が99年春に県勢初の優勝を果たしたときの感動は、いまだに忘れられない。当時のエースは、現在の同高監督比嘉公也さん。優勝が決まった瞬間、スタンド席で観客のウェーブが起きた。

 通常は用意した約60曲の中から、選手に打席で演奏してほしい曲を事前に選んでもらうが、この決勝戦のときだけはやめた。「初優勝に向けて『オール沖縄』の気持ちでいこう」と、「島唄」や「てぃんさぐぬ花」など沖縄の曲を自ら選んだ。

 沖縄勢の応援を続けるなかで、年々地元の兵庫でも沖縄ファンが増えていると感じている。「沖縄を甲子園で応援したい」と入部する子もいれば、一緒に演奏したいという有志もいた。沖縄出身者として、それがうれしい。

 夏の選手権大会でも指揮棒を振るつもりだ。その前に、75歳になる。「そろそろ引退を」とも考えるようになった。だけど「引退しても、どうせアルプスにはいるだろうけどね」とはにかんだ。(板倉大地)

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