旧約聖書から考えるウクライナ侵攻 西欧の歴史観は「普遍的」なのか

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佐伯啓思の異論のススメ スペシャル

 ロシアのウクライナ侵略からすでに1年が経過。1年前の論考(本紙2022年3月26日付)で私は次のようなことを書いた。

 この事態の背景には、冷戦後の米国中心のグローバル文明の失敗がある。個人の自由や市場競争、民主的な政治、人権、法の支配、国民国家体制、科学技術と経済成長による幸福追求、それを実現する進歩的な歴史観。これらの価値を総称して「リベラルな近代主義」と呼んでおけば、冷戦後の時代とは、この価値観の世界規模での実験であった。その強力な推進者は世界秩序の守護者を自認する米国である。

さえき・けいし

1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「さらば、欲望」など。思想誌「ひらく」の監修も務める。

 だが、約束された未来は来なかった。この楽観的な信念は信頼を失いつつある。となると、近代主義が覆い隠していた、各国や各地域独特の文化や歴史が表面にせりだしてくる。とりわけ冷戦で敗北し、その後のグローバル文明においても決して栄光ある地位を手にできなかったロシアは、ある屈辱感とともに、改めて「ロシア的なもの」による強国の再興を夢想する。かくて、ロシアの歴史の中に埋め込まれていた「西欧的なもの」と「ロシア的なもの」の確執がウクライナをはさんで噴出した。

 おおよそこういうことを書いたが、その見方は今日でも変わっていないし、さらに付け加えたいこともある。というわけで、今回は、1年前の論考の続編である。

 先に列挙したリベラルな近代主義はあくまで西欧文化の産物であり、20世紀に米国が継承したものだ。だがそれはまた「普遍的価値」だともいわれる。なぜなら、自由を求める心情や、豊かになりたいという欲望は万人に共通であり、その実現のためには、平等な権利や民主的な政治や市場競争が不可欠である。したがって、リベラルな民主主義や市場競争は、場所や文化を超えて普遍的である。西欧こそがその普遍的価値を生み出した、といわれる。

 西欧からすれば、この価値観に反対する者は原則的にはいないだろう。いるとすれば、それは自己の権益や権力にしがみつく独裁者や強権的支配者、あるいは狂信的な宗教的原理主義者だけである。だから、この独裁者や支配者や宗教的原理主義者を打ち倒してリベラルな近代的価値を世界化することが歴史の進歩である。こういうことになる。

 確かに、この近代的価値を生みだしたところに西欧文化のすごさがあり、また、そこに西欧や米国が世界史を動かしてきた理由もある。自由と富の拡張、科学と技術による自然支配、そして人間の幸福実現こそが歴史の進歩だという信念は西欧近代の産物であり、その目的は、人間の手による完全な世界の実現という理想であった。

人間のもつ二面性

 だが少し気になることもある…

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    マライ・メントライン
    (よろず物書き業・翻訳家)
    2023年3月31日16時0分 投稿
    【視点】

    この文化コラムでは「西欧の歴史観=リベラル・理性信奉・進歩的」という前提に立っているが、西欧内部でも実際それはいくぶん建前めいたものであり、さらにいえば近年、アッパーミドル層以上の「物心にわたって余裕ある者たち」による市場支配のための文化ツ

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