中村文則さんが読みとく大江健三郎 恥というブレーキを失う日本

有料記事

構成・野波健祐
[PR]

 戦後文学の旗手と呼ばれたノーベル賞作家の大江健三郎さんが世を去った。のこされたことばを手がかりに、作品が照らし出したものを小説家の中村文則さんに聞いた。

 太宰治で文学に目覚めて、そこからドストエフスキーなどの世界文学を読み始めました。その後、再び日本文学を読みたくなって、世界で知られた日本文学ということで三島由紀夫安部公房と一緒に大江健三郎さんの作品に出会った。大学1年のときです。最初に読んだのが「個人的な体験」で、たいへん衝撃を受けました。個人的な悩みで窒息しそうになったとき、題名にひかれたんだと思います。大江作品って主人公がたいてい問題を抱えていて暗いんですけど、それが僕のフィーリングに合った。その後、最初期の「死者の奢(おご)り」から順番に読んでいきました。

なかむら・ふみのり 1977年生まれ。2010年、『掏摸(スリ)』で大江健三郎賞。『教団X』『逃亡者』『カード師』など著書多数。

「万延元年のフットボール」の現在性

 代表作の一つの「万延元年のフットボール」はすごく複雑な話です。主人公の蜜三郎(みつさぶろう)は親しい友人が自殺して、誕生した長男に障碍(しょうがい)があったことで、夫婦ともども精神的な袋小路に陥っている。そういう状況に対して弟の鷹四(たかし)が「新生活をはじめなければならないよ、蜜」と言うんです。

 新生活という言葉って、いろんなことに当てはまると思うんです。すごく落ち込んでるときや追い詰められてるときに、この1文にふれると「そうだ、生活は新しくできる」と響く。もう一つ、日本社会全体でも新生活を始めなければならない時期に来てるのではないかと、この小説を改めて読みながら思いました。

 どういうことかというと、鷹四は四国の森に囲まれた谷間に蜜三郎たちと帰ってくる。その場所は巨大なスーパーマーケットによって経済的に征服されている。それに対して鷹四は暴動を起こそうとする。万延元(1860)年の一揆と、1960年の学生運動などを意識して。歴史的な出来事の反復という面に着目した点が、この小説の非常に特徴的なところで、しかもただ繰り返されるだけじゃなくて、意図的に反復を作り出そうとしている。「場所に依(よ)る歴史の反復」という斬新な構造をあのような形で提示した、この小説の意義は文学史的に、とても大きい。

 驚くのはこの小説の刊行って、日本経済が上り調子のときなんです。オイルショックはまだまだ先で、どんどん成長してるときに出た。にもかかわらず、戦時中に差別していた朝鮮人がスーパーマーケットのトップになっていて、谷間を支配している。そのため谷間の人々は非常に屈折した思いを持っていて、「朝鮮人に、今や経済的な支配をこうむっていることを、あらためて認めたくないんだ」「谷間は末期症状ですよ!」とある。鷹四は差別意識を使って、谷間の人々の怒りを増殖させたり、相手を差別することで彼らを慰撫(いぶ)したり、意図的にあおる。これは、朝鮮を中国などに置き換えても、非常に現代的です。

記事後半では、中村さんによる大江作品の読書ガイドも。どれから読むか、率直に語ります。

 大江さんは上り調子の日本経…

この記事は有料記事です。残り2143文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません