本山雅志(43)が現役引退を発表した。
「大した選手じゃなかったけれど、ここまでやってこられたことを誇りに思う」
1日。古巣・鹿島アントラーズの試合前、カシマスタジアムでそう語った。
謙遜だ。でも、この言葉に、本山という選手の本質があるようにも感じる。
エースナンバーの10番を背負いながら、「黒衣」に徹した人だった。
元々、意外性に満ちた奔放なドリブラー。2002年、22歳で鹿島の10番をビスマルクから託された。翌年からチームはタイトルから遠ざかり、自問自答し、そのプレースタイルは変わっていった。
いまも破られていないJ1記録のリーグ3連覇は07年から始まった。この時、本山の定位置は左の2列目。右の2列目には2歳下の野沢拓也がいた。巧みな足技が敬意を込めて「変態トラップ」と呼ばれた後輩は脂が乗っていて、チームの攻撃の重要なアクセントになっていた。
だから、本山は攻守に黒衣の動きを全うした。前線から相手にプレッシャーをかけ続ける。ボールを持てば、シンプルなパスさばきで周りを生かした。味方にスペースと時間の余裕を与えるためのポジション取りとフリーランニングを繰り返した。さりげなく、でも、いてほしいところに必ずいる。そんな存在だった。
そのプレーに込めた願いを教えてくれたことがある。
本山さんが自らのプレースタイルを変化させたのは、仲間たちにあるメッセージを伝えたかったからでもありました。そして、3連覇を取材した記者には、忘れられない試合があります。本山さんが、若い頃とは違った意味を込めてドリブルを「解禁」した一戦でした。
「タイトルを取れない時期…
- 【視点】
本山さん、本当に、本当に、お疲れさまでした。かゆいところに手が届くプレー、いつだって、うならされました。どんな質問を取材でぶつけても、こちらの意をくんで丁寧に答えていただきました。改めて、感謝を申し上げます。 このコラムでは書ききれな