千本桜が伝える特攻隊の記憶 生活に戦争があった78年前の鹿児島

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嶋田達也
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桜ものがたり2023

 一直線に延びた2本の道路脇に約千本の桜が並ぶ。今や鹿児島県鹿屋市の名所となった。4月初旬、桜は散り始めていたが、多くの人が花見やジョギングを楽しんでいた。

 1945年。季節は桜の時期を少し過ぎていた。

 下内侍恵由(しもないじしげゆき)さん(86)は、上級生に誘われて滑走路脇へ向かった。エンジン音を響かせ次々と離陸してゆく海軍機。大きく手を振って見送った78年前の春に何を叫んだのか、今はもう覚えていない。

 大隅半島にある鹿児島県串良町(現在は鹿屋市)で育った。8歳だった45年春、太平洋戦争は最終局面を迎えていた。

 串良町には太平洋戦争中、旧日本海軍の航空基地が設置され、搭乗員や整備員の訓練が行われていた。滑走路造りでは、近隣の住民もシラス台地の土を運んだ。

 悪化する戦局の中、旧串良基地は近くの旧海軍鹿屋基地(鹿屋市)、同県内の旧陸軍知覧基地(南九州市)などとともに特別攻撃隊(特攻隊)の出撃拠点となった。

 同年4月には米軍が沖縄本島への上陸を開始しており、九州各地から特攻機が沖縄近海の米海軍の軍艦などを目標に飛び立った。串良からは終戦までに363人が帰らぬ人となった。

 戦争は生活の中にあった。

桜並木になった滑走路から、太平洋戦争中は多くの特攻隊が出撃しました。米軍も基地周辺を攻撃。鹿児島・串良は過酷な「戦場」となりました。

 串良町は米軍の上陸が予想さ…

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