ロケ地にもなった廃鉱の街 亡くなった女性が撮っていた1万余カット

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編集委員・石橋英昭
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 「お金は出せないけど、印税もいらない。寺崎英子の名前が入った写真集をつくって」

 寺崎英子さんから缶に入ったネガフィルムの束を託され、写真家の小岩勉さん(61)は戸惑った。寺崎さんとは、だいぶ前に2、3回会っただけだった。

 寺崎さんは当時74歳。宮城県栗原市にある鉱山のまちで暮らしてきた。日本有数の鉛・亜鉛産出地で知られた細倉鉱山だ。独学で写真を覚え、1987年の鉱山閉山の少し前から、ヤマの最後を撮り続けてきた。

 渡されたフィルムはモノクロとカラーを合わせて371本、約1万1千カット。大半はプリントされておらず、どんな写真かもわからない。

 「一度預かります」。仙台市から訪ねていった小岩さんはそう答えたものの、帰り道で後悔した。「えらいこと引き受けたな」と。

 その時は、彼女の写真にこん…

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    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2023年4月19日13時0分 投稿
    【視点】

    2018年に細倉マインパーク資料展示室(宮城県栗原市)で開催された「細倉を記録した寺崎英子のまなざし展」では、短歌や俳句を記したノートも展示されていた。その会場を訪れた人たちのなかには、細倉の町とそこに暮らす人々を捉えた<写真>の世界と<短

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