第1回日本軍の痕跡が残る西太平洋の島 ペリリューに再び米軍が来た理由
鏡のようになめらかな海面は青色やエメラルド色に変化する。300ほどの小さな島が集まったロックアイランドと呼ばれるこの海域は、ダイビングの名所であり、世界遺産に登録されている。
パラオの中心地コロールから小型ボートで1時間半。緑に覆われたその美しい島ペリリューは1944年9月から日本軍守備隊とそれを攻撃する米軍部隊の激戦地となった。降り注いだ大量の砲弾で島影は茶色に変わり果てたと伝えられる。
【連載】激戦地パラオはいま 米中の覇権争いの中で
西太平洋に浮かぶ島々からなる国、パラオ。ダイビングで世界的に有名ですが、第2次世界大戦での日米激戦の地でもあります。あれから約80年。パラオで米中両国の動きが激しくなっています。その背景に迫りました。
南北約9キロ、東西約3キロのこの島を米軍は数日間で制圧できると見込んだが、日本軍は島内の洞窟などを使ったゲリラ戦で悩ませた。ペリリューでの戦闘は2カ月以上続き、日米両軍で戦死者は1万2千人以上に及んだ。
米軍がこの島の攻略を目指した最大の理由は、島南部に日本軍が1940年に完成させ、東洋一とも呼ばれた飛行場にあった。この飛行場を確保すれば、次なるフィリピン決戦の拠点にできるという計算があったためだ。
飛行場には今も日本軍の痕跡が残る。米戦艦の砲撃を受けた燃料貯蔵庫は一部が崩落して、曲がった鉄筋が露出していた。飛行部隊の司令部跡はほとんど崩れ落ちている。周りには破壊され、放置されたままの日本軍戦車もあった。さびついた車両の内部には緑の草が生い茂る。
米軍は戦後、死闘の末に奪取した飛行場を放棄した。その後は近くの島との間を結ぶ軽飛行機のチャーター便が飛ぶだけだった。
そんなペリリュー島に、最近ある変化が起きている。
米軍が飛行場周辺のジャングルを伐採
ところどころには草が生え…
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